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2007年02月15日(木) ■ |
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「お金を出して本を読む人たち」を笑うな! |
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『たぶん最後の御挨拶』(東野圭吾著・文藝春秋)より。
(2002年の「年譜」の一部です)
【わからないといえば出版界の先行きだ。本当にもう本の売れない時代になった。不況の影響はもちろんあるだろう。書籍代というのは、真っ先に倹約するのが可能なものだからだ。図書館に行けば、ベストセラーだって無料で貸してくれる。レンタル業なんかも登場しつつある。どういう形にせよ、読書という文化が続いてくれればいいとは思う。しかし問題なのは、本を作り続けられるかどうか、ということだ。本を作るには費用がかかる。その費用を負担しているのは誰か。国は一銭も出してくれない。ではその金はどこから生み出されるか。じつはその費用を出しているのは、読者にほかならない。本を買うために読者が金を払う。その金を元に、出版社は新たな本を作るのだ。「読書のためにお金を出して本を買う」人がいなくなれば、新たな本はもう作られない。作家だって生活してはいけない。図書館利用者が何万人増えようが、レンタルで何千冊借りられようが、出版社にも作家にも全く利益はないのだ。だから私は「本を買ってくれる人」に対して、これからもその代価に見合った楽しみを提供するために作品を書く。もちろん、生活にゆとりがないから図書館で借りて読む、という人も多いだろう。その方々を非難する気は全くない。どうか公共の施設を利用して読書を楽しんでください。ただし、「お金を出して本を読む人たち」に対する感謝の気持ちを忘れないでください。なぜならその人たちがいなければ、本は作られないからです。】
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この文章は、「作家」として生計を立てている東野さんの心の叫びだなのだろうな、と僕には感じられました。 レンタルでも著作者に利益の一部が還元されるようなシステムができあがっているCDやDVD業界に比べて、本の場合、レンタルや中古書店でいくら多くの人に読まれても、著者にはほとんど見返りがないというシステムになっています。厳密に言えば、図書館やレンタルショップに購入してもらえるのですから、「出版社や作家に全く利益がない」というわけではないと思うのですが。それでも、出版業界というのは長い間「新刊書店で読者が定価で買ってくれること」を前提に成り立ってきていますから、この先「本を図書館で借りたり、ブックオフで中古を安く買う人」が多数を占めるようになっていけば、出版業界そのものが先細りになってしまうのはまちがいありません。
今から15年前くらいのパソコンのゲームソフト業界がまさにそういう時代で、僕が当時使っていたX68000というパソコンは高機能とゲームの作りやすさで評判だったのに、多くのユーザーが「市販のゲームは高いから」という理由でゲームソフトを買わずにコピーばかりするようになってから、一挙に衰退していきました。当時の多くのユーザーは、「同じ内容ならば、パッケージや説明書がなくても安いコピーのほうにする」という選択をしたのですが、クリエイター側からすれば、「どんなに一生懸命面白いゲームを作っても、みんなコピーばかりでお金を出して買ってくれないので全然儲からない」という状況になってしまったのです。それじゃあ、クリエイターがやる気を無くしてしまうし、「商売にならない」のは当たり前ですよね。 現在のパソコンソフトだって、結局のところ「高いパッケージソフトを買うなんて勿体無い」という人がたくさんいて、みんながコピーしてしまうからこそ、「正規品を買う人」に過剰な負担がかかるような高額商品になってしまうわけで。もしみんなが正規品を買って、ソフトメーカーが良心的な商売をしてくれれば、もっと安くなるはずなのに。
僕は「本道楽」の人間なので、かなりのお金を本に毎月費やしていますが、多くの人は「もっと他にお金の使いみちがある」し、「図書館やブックオフを効率的に利用するほうが賢い」と考えているようです。でも、そういう「賢さ」というのは、必ずしも出版業界や作家を幸せにはしないし、出版業界そのものを先細りにしてしまう危険を秘めています。現在は「『本』という媒体を所有すること」への読書マニアたちのこだわりだけが、出版業界を支えている時代なのです。
僕は「賢い読書家」ではなくて、本を買うことによるお金と空間の欠乏に日々悩まされているのですが、それでも、できるかぎり好きな本にはお金を出そうと思っています。誰も感謝してくれなくていいけれど、これからも、面白い本をたくさん読みたいので。
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