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2007年02月11日(日) ■ |
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「熱く議論を主導するリーダー的な人」の現実 |
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『逃亡日記』(吾妻ひでお著・日本文芸社)より。
(吾妻ひでおさんが自らのアシスタント時代を振り返って)
【インタビュアー:一般の認識だとその時代というのは、劇画の大ブームの中で手塚先生が対抗して『COM』の運動ができたみたいに思われてますけど、その辺の劇画と漫画の関係性はどうなんですか?
吾妻ひでお:ああ、劇画派、漫画派っていうのはあったね。明確に。
インタビュアー:吾妻さんはもちろん……。
吾妻:オレは漫画派で。劇画やっているやつは頭悪いって思ってた(笑)。
インタビュアー:佐藤プロに行った人は劇画派ですよね。
吾妻:彼は桑田次郎さん風の絵柄だけど、他のマシンガンを描いてるほうね(笑)。そういう絵を描いているやつは頭悪いって。 殺し屋ばっかり出てきて拳銃の撃ち合いして、眉毛異常に太いし。知能低いと思ってた(笑)。 当時は喫茶店のモーニングサービスに間に合うように行って、パンと卵を食べて、漫画論を戦わすんだよね。朝からもう大声張り上げて、「お前違うだろ」って、しらふで言い合っていた。
インタビュアー:そういう時は、吾妻さんは議論を主導するほうだったんですか?
吾妻:主導はやっぱりリーダー的なやつがいてそいつが。でも主導はしないけど、オレも熱く語ってた。黙って聞いていたのは松久。あいつは醒めてて不言実行の男だから。
インタビュアー:そういうところでリーダー的な人って、作品を残すことはあまりないですよね。
吾妻:そうなんだよね。議論ばっかで、頭でっかちになって描けなくなっちゃうんだよね。そいつからの漫画の構想はいっぱい聞いたけど、描いたのは1本しか読んだことない。 それで喫茶店でさんざん激論交わしたあと、みんなアパートに帰って自分の漫画描くのかと思うと、だれ一人1ページも描いてない、てか描けない。大言壮語しすぎて自分の現実との違いにふと気づくと落ち込んで寝ちゃう。それでも翌日はまた同じことを繰り返す(笑)。】
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これを読んで僕が考えさせられたのは、本当に当たり前のことなんですけど、「作品についての議論の場でリーダーになるような人が、創作者として優れているというわけではないのだな」ということでした。ここにも書かれているのですが、結局大部分の「頭でっかちの理論家」というのは、自分の理想と自分が書ける作品のあまりのギャップの大きさに負けてしまって、壮大な構想を形にできないまま、年ばかり重ねてしまいがちなのです。逆に考えれば、議論の場で立派な発言をすることができなくても、「とにかく実際に作品を形にできる人間」のほうが最後には生き残るということなんですよね。 吾妻さんによると、当時のアシスタント仲間のなかで漫画家としてそれなりに成功したのは、吾妻さんと「黙って聞いていた」松久さんだけだったそうですし。 それにしても、「頭悪そう」とさんざんバカにしていた「殺し屋ばっかり出てきて拳銃の撃ち合いして、眉毛異常に太いし」というマンガがこんなに長い間続いているとは、当時の吾妻さんは夢にも思わなかったでしょうね。
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