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2006年12月06日(水)
「黙殺」されている、超人気マンガ原作者の正体

『ダ・ヴィンチ』2006年12月号(メディアファクトリー)の「呉智英の『マンガ狂につける薬・第143回」より。

【この数年、マンガ界はある原作家に乗取られたような状態にある。それは、1970年前後の梶原一騎のブーム、続いて起きた小池一夫のブームと似ているようで大きくちがう。
 似ているのは、何誌ものマンガ誌が競って同じ原作家を起用したことだ。梶原ブームの時も小池ブームの時も、見る雑誌、見る雑誌に彼らの原作マンガが載っていた。今回のある原作家のブームは、それ以上である。見る雑誌、見る雑誌どころか、見るページ、見るページである。老舗「漫画サンデー」など、今年上半期にはこの一誌に三本も並行連載され、まるで個人誌状態であった。この原作家は、毎月40本近い原作を書いている。つまり、毎日必ず1本以上の締切りがあるのだ。推定原稿料は毎月数千万円。加えて、人気作は百万部単位で単行本となり、テレビドラマ化もされるから、印税や原作料が何億円も入る。
 ところが、この超人気作家、知名度がきわめて低い。評論家が論じたりすることもない。それはちょっとまずくないか、ということを最初に言ったのは、昨年末の「このマンガを読め!」(フリースタイル)の年末回顧座談会での私である。その後、この夏、なんと朝日新聞の日曜版が3週に亘って連続インタビューを掲載したが、ほとんど話題にならなかった。
 ここまで読んできた読者よ、この原作家が誰だかおわかりだろうか。その名は倉科遼(くらしな・りょう)。時に司敬の別名も使う。20年ほど前までは、この司敬の名で学ランものマンガを自ら描いていた。今は、水商売・芸能界などのネオンものを中心に、経済ものや歴史ものなどの原作も書く。一誌に2本目3本目を書く場合、司敬の名を使うようだ。
 これほどのマンガ家歴があり原作者歴があり、毎月40本以上の締切りを抱えながら、知名度も低く、評論家が誰も論じないのは、なぜか。前述の座談会の時、いしかわじゅんが「倉科遼の作品はプログラムピクチャーだからね」と言ったのが的確な答えだろう。
 プログラムピクチャーとは、4、50年前、映画が娯楽産業の王者であった頃、映画会社の年間製作予定表通り量産されたB級娯楽映画のことである。ハリウッドの恋愛ものや西部劇、東映の時代劇、日活の青春もの、こうした他愛のない内容の厖大なプログラムピクチャーが映画の広い裾野を形成していたのだ。そこには、評論家の評価など考えず、大衆娯楽に徹する製作姿勢がある。それはひとつのプロ魂である。プロ意識を強調するいしかわじゅんが的確に表現したのも当然だろう。
 倉科遼の代表作は、1996年連載開始の『女帝』(和気一作・画)。掲載誌はマンガマニアはまず読まない「週刊漫画」(芳文社)である、しかし「週漫」は、大衆食堂や喫茶店や飯場や独身寮では根強い人気がある。マンガの多数派読者は、高尚な思想や高級な表現を求めているわけではない。わかりやすく肩の凝らない娯楽を求めているだけなのだ。
『女帝』は、貧困の中から身を興し、銀座のクラブのママにまで登りつめる女の物語である。貧しさ故の屈辱、それをはね返す才覚と度胸、そんな彼女を応援する情の熱い人、そんな彼女を妬む人……、徹頭徹尾類型的で、今時これを読む人がいるとは信じ難い。そして、単行本が数百万部売れ、テレビドラマにもなりながら、十年後二十年後には、誰もが忘れてしまうだろう。だが、マンガの出自は大衆文化なのであり、大衆文化の王道を行くのは一見泥臭く野暮ったいこうした娯楽マンガなのである。】

参考リンク;
「逆風満帆〜マンガ原作者・倉科遼(上)」(asahi.com
「逆風満帆〜マンガ原作者・倉科遼(中)」(asahi.com
「逆風満帆〜マンガ原作者・倉科遼(下)」(asahi.com)

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【ここまで読んできた読者よ、この原作家が誰だかおわかりだろうか?】  僕は全然わかりませんでした。
 言われてみれば倉科遼という名前は書店のマンガコーナーなどでしばしば目にしていたはずです。『女帝』というマンガのタイトルは知っていましたし、「面白かった!」という話もよく耳にするのですが、その作品の原作家が倉科遼さんというひとで、月に40本近くの締切りを抱えるほどの「人気原作家」だったとは知りませんでした。まあ、僕が日頃読んでいるマンガが週刊の『ジャンプ』『マガジン』「ビッグコミックスピリッツ』くらいで、それも最近は「あれば読む」という程度だという事情はあるにせよ、確かに、これほどの売れっ子であるにもかかわらず、倉科さんの「一般的な知名度」というのは、かなり低いのではないかと思います。いわゆる「マンガ論」のなかで語られることが作品の成功のわりに少ないというのも、呉さんが仰るとおりでしょう。
 倉科さんのことについて、参考リンクとして紹介したasahi.comの記事を読んで、僕はかなり意外な印象を受けました。ああいう「夜の世界」を好んで描くような作家であれば、その私生活は、あの梶原一騎さんのように豪快・破天荒なものだったのではないかと思っていたのですが、倉科さんは週3回、銀座に取材も兼ねて行くのを除いては(もちろん、普通の人は銀座に週3回も行けないには決まっているのですけど)、早起きして毎日淡々と1日2本ずつの原稿をこなしていくという、かなり規則的な生活を送っておられるのです。ただ、倉科さんひとりだけの力でそんなにハイペースの執筆ができるとは思いがたいので、アシスタントや担当編集者が、かなり下調べやデータ集めをした上でのことではあるのでしょうけど。
 僕は倉科さんの作品をそんなに読んだことがないので、本当に「プログラムピクチャー」なのかどうかは判断できないのですが、この話を読んでいて思い出したのは、赤川次郎さんのことでした。そういえば、赤川さんというのも長年たくさんの本を売り上げてきた人であるにもかかわらず、いわゆる「文壇」みたいなところから賞をもらったり、文芸評論家によって語られることが少ない作家だという印象があるのです。村上春樹さんが芥川賞を獲れなかったことはしばしば話題になりますが、赤川さんの場合は、最初からそういう話題とは蚊帳の外に置かれているような感じですし。あれだけ売れて、みんなが「泣いた」と絶賛しているリリー・フランキーさんの『東京タワー』が、現場の書店員さんたちの投票による「本屋大賞」しか受賞していないように、結局のところ、「大衆にはウケるけれど、玄人筋には黙殺される作品」というのが存在しているのかもしれません。
 僕なども「自分は見る目がある人間だ」とアピールしたいところもあって、「こんなベタな映画なんて、つまんない」と語ってしまいがちなのですが、実際のところ、多くの「前衛的だけれど面白さの欠片もない、作者の自己満足でしかない作品」よりは、「良質のプログラム・ピクチャー」のほうが、はるかに「有益な時間の使い方をした」ように感じるんですよね。そして、多くの「普通の観客」も、そうなのだと思います。
 創作者としては、「これは斬新だ!」「びっくりした!」と言われたい衝動って、誰にでもあるのではないでしょうか。そりゃあ、したり顔で「面白いけど、ちょっと古臭いね」と言われるのを喜ぶ人は、あんまりいないでしょうから。でも、世の中で「本当に多くのひとが求めている作品」というのは、たぶん、「玄人筋が賞賛する作品」とは、必ずしも一致するものではないのです。
 もちろん、世の中が「プログラム・ピクチャー」ばっかりになったら、それはそれでつまらないには決まっているのですけど。