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2006年10月30日(月)
日本に対して最も好感を持っている国

「ダ・カーポ」593号(マガジンハウス)の特集記事「日本を好きな国」「日本が好きな国」より。

【日本に対して最も好感を持つ国といわれているパラオ共和国。この国の人たちの日本への尊敬の念はすさまじく「タロウ」「ヒロシ」「ミノル」「ケイコ」「アケミ」など、名前に日本名をつけてしまうほど。さらには「イチカワサン」「タニグチサン」など敬称付きで命名してしまうケースも珍しくない。
 しかし、なぜミクロネシアにあるこの小さな国の人たちが、これほどまでに日本を愛してくれるのだろう?
「20世紀末に日本がパラオを統治していたからです。そのとき、日本の人たちはパラオ人にとてもよくしてくれました」
 とは、パラオ大使館のロリリン・デルバイさん。1914年、日本は当ドイツ領だったパラオを占領し、1920年からは国際連盟によってパラオは日本の委託統治領となった。その後日本人は次々と移住し、1938年には首都コロールのパラオ人の人口が1287人だったのに対し、日本人は1万3700人! 11倍にまでなった。
 しかし、ふつうに考えて、統治されるのはけっしていい気持ちがしないもの。現在日本の近隣国に起こっているような反感を持たれたとしても不思議ではないが……。

 「パラオ人に対しては、日本人は優しかった。魚の捕り方、米や野菜の作り方やその料理法、植林などを教えてくれました。その当時の作り方を教わった大根やキュウリやスイカを、パラオ人は今も食べています。パラオにもともとあった主食、タロイモよりも日本食のほうが好まれているほどです。さらに、病院や学校や道路も日本人がつくってくれました。そして、たくさんの日本人がパラオ人と結婚しました。パラオには日本人のお年寄りや二世三世がたくさん住んでいるんですよ」(ロリリンさん・以下同)
 パラオでは今でも「センキョ」(選挙)、「ベントー」(弁当)、「ダイジョーブ」(大丈夫)、「チチバンド」(ブラジャー」など、多くの日本語が使われている。
 太平洋戦争中、パラオは日本海軍の基地となり、アメリカの攻撃対象となる。そしてペリュー島などで大激戦が繰り広げられた。しかし、ことパラオと日本の関係について言えば、奇跡的に不幸な出来事は起こらなかった。日米に多くの戦死者を出した激しい戦闘の中にあって、パラオの民間人にはたった一人の死者も出さなかった。そのようなプロセスから、今もパラオ人は日本人に対しネガティブな感情を持っていないのだ。】

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 この記事によると、パラオ共和国は人口2万人、面積は459平方キロメートルの200以上の小さな国です。主な産業は観光で、前大統領は日系人のクニヲ・ナカムラという方だったとか。

 日頃、「日本に対する敵対心を露わにしている国」のニュースばかり耳にしていると、こういう「親日国」の存在というのは、なんだか心が洗われるような気がしてきます。パラオの場合は、現地の人々と日本人との血の交流が進んでいるというのも大きな理由のようですが、パラオ以外にも、親日国というのは世界にはけっして少なくないようです。この記事では、経済的な繋がりが深く、人的な交流も盛んなオーストラリア、ロシアの圧制に苦しめられていたため、日露戦争での日本の勝利以来、日本に好感を持っている人が多いというフィンランド、和歌山県沖で遭難したトルコの軍艦の乗組員達に対し、地元の人が献身的な救助活動を行って以来の親日国であるトルコなどが紹介されていました。アジアに限っても、一部の地域を除けば、日本はけっして「嫌われ者の国」ではないのです。「親日国」というのがメディアなどでとりあげられることはあまりないので、「日本の周りは敵ばっかりで、『味方』はアメリカだけだ……」というような印象を持ってしまいがちですが、実際は、そこまで自虐的になるほど「みんなに嫌われている」わけではないようです。

 しかし、「チチバンド」なんて、日本人にとっても「ブラジャー」のほうが一般的になってしまった日本語が、こうして太平洋の小さな国で現在でも使い続けられているというのは、なんだか不思議な感じです。ちなみに、パラオでは宇多田ヒカルの曲が大人気で、一番有名な日本人は、首都コロールの首長の親友であるアントニオ猪木なのだとか。猪木が「日本人代表」というのも、なんだかちょっと偏っているような気もしなくはないのですけど。