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2006年10月05日(木) ■ |
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「友達と一緒に働くこと」の難しさ |
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「三谷幸喜のありふれた生活5〜有頂天時代」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。
(映画『THE有頂天ホテル』の出演者が発表された際に)
【雑誌やスポーツ紙などに「三谷ファミリー」と書かれることがある。僕が同じ俳優さんに何度も出てもらうからだ。きっと今回も言われるだろう。この○○ファミリーという言葉、僕は好きではない。大御所的存在が中心にいて、その人を慕う仲間が周りに集まっている光景が目に浮かぶ。皆でホームパーティーをしたり、たまには海外旅行にも行ったり。 でも実際の僕は、役者さんたちとは、ほとんど仕事以外でのお付き合いがない。戸田さんとは、それこそ何本も仕事をしているが、かといって、オフの時に一緒に遊んだり、ご飯を食べに行くことはない。 劇団の頃からそうで、いまだに相島一之や小林隆がどこに住んでいるかも知らないし。「三谷ファミリー」と呼べるのは、僕と三匹の猫と一匹の犬だけだ。僕にとって俳優さんは、あくまでも仕事上のパートナー。現場ではもちろん仲良くさせて貰っているが、それ以上は踏み込まない。せっかくいい役者さんなのに、プライベートで、お互いの嫌な面を見つけて気まずくなってしまったら、もったいないから。さらに困るのは友達としてベストな奴が役者としてもベストとは限らないということ。やはり彼らとはいい意味で距離を置いていたいと思う。 今回も、馴染みの俳優さんが沢山出ているが、僕は彼らをファミリーだとは思ってないし、向こうだってそのはずだ。 第一、僕を慕って、皆さんが集まってくれたわけではない。製作発表では、これだけのキャストが揃ったのは僕に人望があったからです、とコメントしたがあれは嘘。実際は人望だけでは人は集まらない。彼らは台本を読んで、自分に振られた役柄を気に入ってくれたから、出演してくれたのだ。僕は自分の好きな俳優さんに出て貰いたいので、彼らが出たいと思えるようなホンを必死に書く。 つまり役者が僕と慕っているのではなく、僕が彼らを慕っているのです。】
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三谷さんは、照れ屋で、プロの脚本家で、ある意味孤独な人なのだなあ、と思いながら、僕はこれを読みました。おそらくこれは「橋田ファミリー」のことを思い浮かべつつ書かれたものだと想像しているのですけけど。 三谷作品によく出演している人といえば、香取慎吾さんとか、戸田恵子さんなど、さまざまな役者さんの名前が挙がってきます。三谷さんはもともと「東京サンシャイン・ボーイズ」という劇団を主宰されていたので、劇団出身の若手俳優なども、かなり積極的に登用されてもいますし。 でも、三谷さんは、これらの常連の役者さんたちとのプライベートな付き合いはほとんどないそうです。今の三谷さんの立場からすれば、それこそ「取り巻き」を作ろうと思えば、手を挙げる人はいくらでもいるはずなのに。 【せっかくいい役者さんなのに、プライベートで、お互いの嫌な面を見つけて気まずくなってしまったら、もったいないから。さらに困るのは友達としてベストな奴が役者としてもベストとは限らないということ。やはり彼らとはいい意味で距離を置いていたいと思う。】という件などは、当の役者さんたちが読んだら気を悪くするのではないかな、などと考えてしまうのですが、これって、別に芸能界に限らず、一般社会でも同じことが言えるのかもしれません。 やっぱり、「気の合う仲間と一緒に楽しく仕事ができればいいなあ」なんて感じたり、友人と盛り上がったりすることは誰にでもあると思うのですが、実際に一緒に仕事をしてみると、逆に、「仲が良すぎる人」と組むというのは、かえって難しかったりもするものです。お互いに「友人だから」ということで遠慮してしまい、仕事の分担がうまくいかなくなってしまったり、失敗を指摘しづらくなってしまったり。そして確かに、「友達としてベストな奴が仕事仲間としてベストだとは限らない」のですよね。「すごくいい奴で友達なんだけど、仕事が全然できない人」と組むというのは、本当に悲劇だと思います。「友達だから」邪険にもできないし。 僕自身はプライベートではひとりで居たほうが気楽なことが多いものですから、どんなに性格が良い人でも、しょっちゅう仕事のあとに引っ張りまわされるようだと、付き合いきれなくなって、次第に疎遠になってしまうんですよね。そして、人と人というのは近づけば近づくほど、お互いの「難点」も見えてしまうものですし。 僕は「人と過剰に仲良くすることが苦手な人間」なので、ここで三谷さんが言われていることって、非常によくわかるような気がしました。正直「誰かとずっと親友でいるためには、年賀状のやりとりくらいに留めておいたほうがいいのではないか」とか、いつも考えていますから。
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