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2006年09月23日(土) ■ |
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みのもんたが「仕事中毒」になった理由 |
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「月刊CIRCUS・2006年12月号」の記事「何度でも甦る 業界最強不死鳥たちの足跡!!」より。
(週に34時間のテレビ出演をこなす、「世界一テレビに出演している男」こと、みのもんたさんの「3度の挫折」について)
【最初の挫折は就職活動の頃だった。 「当時日テレのアナウンサーだった徳光和夫さんに憧れ、各テレビ局を受験するものの全滅、落ちこんでました」(大学時代の友人) 結局はラジオ局の文化放送に内定し、若者に人気の深夜放送『セイ!ヤング』のDJに大抜擢、一躍人気者に。ラジオ界でスターになり、テレビにも出演するようになったが、これが2度目の挫折の序章。 「部署異動で日勤のニュース読みに回された。事実上の左遷、リストラです。原因は、まあ周囲のやっかみですかね」(文化放送関係者) 結局、文化放送を退社しフリーになるが、仕事は軌道に乗らず…。 「家族のために、父親が経営していた水道メーター会社・日国工業(現・ニッコク)に就職、5年ほど営業マンとしてライトバンで全国を回る日々を選んだんです」(夕刊紙記者) みの本人も「この時期が最もつらかった。もうこの世界には戻れないと思った」と語っている。これが3度目の、そして最大の挫折。 その後『プロ野球珍プレー好プレー大賞』(CX系)のナレーションで注目を浴び、一気に大ブレイク。 「干された時期があったからこそ、スケジュール表の空白をひどく嫌う。征服欲ですよ。すべての時間に出演したいんです」(梨元勝氏) 今のみのを支えているのは、この征服欲にほかならない。それを教えてくれた3度の挫折。今日の「8時またぎ」は、いいですか。まずはこれです、挫折なくして成功なし―。】
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いまや日本テレビ界の「帝王」である、みのもんたさんの挫折経験について。僕は怠惰な人間なので、どうしてみのさんがあんなにスケジュールをぎっしり詰めてテレビに出演し続けるのかかねがね疑問だったのです。これ以上稼いでも税金で持っていかれるばかりだろうし、かえって視聴者に飽きられるのではないかと不安にならないのかな、とも思いますしね。 でも、この記事を読んで、みのさんの「仕事中毒の理由」が、少しわかったような気がしました。この記事では、それは「征服欲」だと書かれているのですが、そういうポジティブな感情というより、むしろ「また干されるかもしれない」という潜在的な恐怖感のほうが強いのではないか、と僕は感じたのです。 僕にとっての「みのもんた」という人は、「珍プレー好プレー」以降の印象しかなくて、「面白いナレーター」が、いつのまにか「テレビの帝王」になってしまったという印象なのですけど、こうしてみのさんのこれまでの人生を辿ってみると、あの「思いっきりテレビ」での下世話すぎるくらいの視聴者とのやりとりなどは、みのさん自身が「ひとりの営業マン」として実際におばちゃんたちと接した経験が生かされているような気がします。確かに、高学歴のエリートとしてテレビ局に入ったり、小さい頃から芸能界で活動してきた大スターには、テレビを実際に観ている「一般視聴者」というのは、実感できないものではないでしょうか。 結果的に、みのさんは、自分の「挫折経験」をフルに生かして、現在の地位を築いているのです。でも、どんなに成功しても自分のスケジュールの空白が許せない人生というのは、少しだけ、せつなくもありますよね。
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