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2006年08月03日(木) ■ |
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亀田興毅が教えてくれたこと |
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読売新聞の記事より。
【世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦12回戦(2日・横浜アリーナ)――同級2位の亀田興毅(19)(協栄)が同級1位のフアン・ランダエタ(27)(ベネズエラ)を2―1の判定で下し、世界初挑戦で王座を獲得した。 亀田は19歳8か月の若さで世界王座奪取に成功、井岡弘樹(18歳9か月)、ファイティング原田(19歳6か月)に続き、日本ボクシング史上3番目の若さで3人目の10代チャンピオンとなった。 日本ジム所属の世界王者は、過去最多タイの6人。
◆“本物のプロ”の洗礼、試合内容は完敗◆
信じられない判定だった。亀田が新王者となったが、試合内容は完敗だった。 怖い物知らずの若者がいきなり“本物のプロ”の洗礼を受けた。1回、ランダエタの右フックをまともに受けてダウン。屈辱と未知の経験に、亀田の表情から余裕と、いつものふてぶてしさが消えた。 前王者が複数階級制覇を目指して返上したライトフライ級王座を、1階級上のフライ級と、1階級下のミニマム級で戦ってきた選手が争った一戦。筋肉が力強く隆起した亀田と、やや線が細いランダエタが、リング上で拳を交えた。 デビュー戦から、亀田は11戦すべてをフライ級で戦ってきた。自他ともに認める豊富な練習量で、体力負けした試合は1度もない。ガードを固め、グイグイと距離を詰め、ロープ際に追い込んで連打を見舞うのが“定番”だったが、百戦錬磨の試合巧者には通用しなかったように見えた。 一方、元WBAミニマム級王者のランダエタは、同級では、リーチの長さと身長の高さを武器に、鋭いカウンターで実績を築いてきた。1・3キロ重い階級で体格の利は失われたが、キャリアでは相手を大きく上回る。表面的な見かけとは裏腹に、防御の技術、パンチの多彩さでは、明らかに亀田より一枚も二枚も上だった。 常に前向きだった亀田の姿勢をジャッジが評価したのかも知れないが後味の悪い判定だった。】
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僕は「亀田三兄弟」って、大嫌いです。なんで嫌いかっていうと、ああいう人たちと道端で遭遇したら怖いもの。なんであんなチンピラみたいな人たちのことを一生懸命応援している人がたくさんいるのか、全然わかりません。そもそも、「元チャンピオンだけど、今はすっかり弱くなってしまっている人」とかを相手に連勝街道を驀進したり、危なくなったらローブローで勝利なんて、卑怯で下品だと思うしね。 それでも、昨日の試合はテレビで観ていました。さすがに世界戦となれば、今までよりまともな相手と勝負することになるだろうから、できれば亀田興毅が「馬脚をあらわす」ような惨敗を喫してくれればいいな、などという「黒い期待」を抱きながら。 最初のラウンドでの亀田のダウンで、僕の望みは9割くらい満たされたような気がしたのです。「ざまあみろ、相手が『本物』なら、これが当然の結果だ」と。 しかしながら、その後の12ラウンドまでの亀田興毅のボクシングは、アンチ亀田である僕にとっても、「やっぱり、けっこう強いんだな」と感じさせる内容でした。最初にダウンして、目のまわりも切ってしまっているという不利な状況のなか、最後まで攻めようとし続けた亀田のスタミナと気力は、「悔しいけど、コイツは近い将来にはタイトルを獲るんじゃないかな」と思わざるをえなかったのです。 テレビの実況と解説者のあまりにも亀田贔屓っぷりには、閉口してしまいましたが。ランダエタが亀田のパンチを避けると、「ランダエタ、逃げる!」だもんなあ。じゃあ、自分から右の頬を差し出せって言うのか。 12ラウンド終了のゴングが鳴ったあと、解説の「亀田贔屓コメントをさせられていたもと世界チャンピオン」も、「まあ、今回は残念でしたけど、亀田はよく頑張ったし、まだ若いんだから、これからですよ」というようなコメントをしていました。アナウンサーの「まだわかりません。微妙な判定になります!」という言葉も、「ま、それあなたの仕事だからね」と苦笑していたのですが…… 「勝者・亀田!」という判定を聞いたとき、全国でどのくらいの人が、その判定に「納得」できたのでしょうか。亀田の勝利を願っていた人たちですら、絶句した人も多かったはずです。 亀田は1ラウンドにダウン1回、それ以外のラウンドは、まあ互角だったとしても、僕の知っているボクシングの「常識」では、「ランダエタの勝利」は動かないはずでした。しかしながら、「判定」は亀田の勝利。 それにしても、「ホームタウンデシジョン」というのは、どの採点競技にもありますし(というか、環境に慣れていて、大勢の地元の観客に後押しされる「ホーム」の状況というのは、採点競技でなくでも有利なのです)、僕も今までいろんなスポーツで、「不可解な判定」を見てきましたが、これはあまりに酷すぎます。1ラウンドのダウンという、誰が観てもわかる「基準」もあっただけに。
この「判定」に対して、試合を中継したTBSには、たくさんの抗議電話がかかってきているそうです。それこそ、回線がパンクしてしまうくらいに。 そして、今まで「亀田人気」を煽ってきたメディアも「微妙な判定」だと報じています。 僕の印象では、この試合、亀田が内容通り「判定負け」であれば、「亀田はよくやった」と多くの人が感じたと思いますし、最後まで闘い抜いた彼の今後のさらなる成長にみんな期待したはずです。アンチ亀田の僕も、試合内容そのものについては、「けっこう強いんだな」と感心したくらいですから。 しかしながら、「勝ってしまった」あるいは「勝たされてしまった」がゆえに、亀田にはこれからずっと、「不可解な判定で勝った、後ろ暗いチャンピオン」というイメージがつきまとうことになるでしょう。それは、どう考えても、彼自身にとって、プラスにはならないと思われるのですが。
ただ、僕はこんなふうにも感じています。 「スポーツの世界」というのは、それを観るものたちにとっては、この地球上では、数少ない「比較的公正なルールのもとに、優劣が決まる世界」のはずです。あのシドニーでの篠原の不可解な負けやWBCでのアメリカの審判の誤審などの「あってはならない例外」はみられるものの、優勝が期待された地元チームが予選リーグであっさり負けてしまったり、歴史に残る名プレイヤーが「引退試合」で頭突きをかまして退場になってしまったりする「理不尽」こそが、スポーツのリアリティなのです。 今回の「微妙な判定」について最も感じたのは、「ボクシングというのは、『スポーツ』ではないのだな」あるいは、「これが『スポーツ』のひとつの現実なのだ」ということでした。というか、これはもう「興行」以外のなにものでもない。 試合内容云々よりも、「どちらがお金になるか」「どちらが視聴率を稼げるか」という「勝負」に、亀田興毅は勝ち、それが「判定」に大きく影響したのです。 そして、そういう意味では、「惨敗しているのを期待」しながらも、チャンネルを合わせ、こうして彼のことを話題にしている時点で、僕は亀田やTBSに負けてしまっているのでしょう。たとえそれが「批判的」であっても、みんなが関心を持っているかぎり、「お金になるコンテンツ」として、彼らは消費され続けられます。本当に亀田が「嫌い」ならば、僕もテレビのチャンネルを合わせるべきではなかったのです。 本当に問題なのは、「勝たされてしまった」亀田よりも、「亀田を勝たせてしまった人々」のはず。 今回の「判定」について、おそらくさまざまな「裏」があったものだと思います。それには亀田一家が直接関与していたのかどうかはわかりませんし、少なくとも、彼らだけの力では、世界戦の判定を「行司差し違え」にするなんてことは不可能なはずで、そこには、もっと大きな「利権」のようなものが関わっていたものと考えられます。 テレビとかメディアなんていうのは、「公正」なものではない。 僕たちが幻想を抱いている、スポーツの世界の「公正さ」というのも、絶対的なものではない。 そもそも黙っていてもみんなが「フェアプレイ」をするのなら、それを呼びかける必要性なんてありはしないし、絶対にみんながドーピングをしないのなら、それを検査する必要なんてありません。 たぶん、僕たちの知らないところで、こういう「ズル」が山ほど行われているにもかかわらず、多くの場合、そのことにみんなが気がつかないのです。それはもちろん、スポーツの世界に限ったことではなく。 今回の判定は、あまりにも亀田興毅が「あからさまに負けすぎて」しまったために目立ってしまいましたが、これはまさに「氷山の一角」のように思われます。 きっと、自分でも気づかないうちに「ランダエタ役」をやらされている人って、たくさんいるのでしょうね。 もしかしたら、僕もそのひとりなのかも……
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