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2006年07月24日(月) ■ |
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言葉は届いてなくても、気持ちは届いちゃう。 |
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「週刊アスキー・2006.7/25号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。
(「王様のブランチ(TBS)のBOOKコーナーのコメンテーターとして、多くの本のヒットにも貢献しておられる、筑摩書房専務取締役の松田哲夫さんと進藤さんの対談の一部です)
【進藤:いい本を見極めるバロメーターってなんでしょう。
松田:僕が”ブランチ”に11年出ていて思ったのは、テレビを観ている人って、なにも聞いていないんだなってことなんですね(笑)。たとえば、ある本を取り上げようかどうしようか考えていて、最後まで読まないうちに決めなきゃいけない時期になってしまったとします。それで、その作家に対してはある程度評価していたので、3分の2まで読んだところで、ここまで読めば大丈夫だと。
進藤:信用して、取り上げてみたら。
松田:ラストシーンが納得がいかなくて。ダメってわけじゃないけど、キメてもらいたかった! って残念な気持ちがあったんですね。だけど、そのときは一生懸命いいところを考えてしゃべったんです。そうしたら、某書店の仕入れの人に「松田さんが取り上げるっていうんで200冊仕入れたのに、全然動かないよ」って嘆かれてしまって(苦笑)。
進藤:でもそれ、松田さんに言われても困りますよね(笑)。
松田:つまり、テレビの視聴者って、なにをしゃべってるかは聞いてないんだけど、その人が本気で薦めてるか、薦めてないかってことだけは、伝わっちゃうんです。
進藤:そう、コワイ媒体ですよね。
松田:逆に『永遠の仔』とか、重松清さんの『その日のまえに』とか、小川洋子さんの『ミーナの行進』みたいに、すごくいいと思うときには、あとからあれも言いたかった、これも言いたかったってなるんだけど、そういうときって、すごくインパクトがあるみたいで。言葉は届いてなくても、気持ちは届いちゃう。本当に怖いメディアだと思います。
進藤:観ている人が一瞬、手を止めるかどうかなんですよね。それは、言いたいことを言い切れてないっていう空気なのかもしれないし、強烈なひと言なのかもしれないし。不思議なメディアだと、私も思います。
松田:ただ、経験的に言うと届く言葉もいくつかあって。「泣いた」とか「涙が出た」って言うと、なんとなく残るものらしくて。
進藤:みんな、泣きたいんですね。
松田:それと「今年のベスト1に決めた」とか。今年はもう使っちゃったんですけど(笑)。これは結構、切り札なんです。たとえば『その日のまえに』は、僕はほんとに去年、いちばんインパクトの強かった作品なんですけど、そのとき思い切って、切り札を2枚使おうと……。
進藤:切り札を2枚?
松田:”涙!涙!!涙!!!”そして”僕は今年のベスト1に決めました”ってコメントを書いたの。
進藤:アハハ、ダブルで!
松田:それと実はもうひとつ、隠れた切り札があって。重松さんって、オジさん読者にはすごくウケがいいんですが、意外に若い女性読者がまだついていなくて。そこで、優香ちゃんに読んでもらったんです。実は優香ちゃんも、すごく本を読む人なので。そうしたら「松田さんが泣いたって本でも泣けないことがよくあるんですけど、これは本当に泣けました!」って言ってくれてね。そうしたら、全国の紀伊國屋書店の売り上げがリアルタイムで更新されるページがあるんですが、見事に”ブランチ”を放送しているエリアだけ売れていたんです。放送していない地域は、ピクリとも動いていないのに、ですよ。なんだか、ちょっとコワかったですね。】
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僕も「王様のブランチ」での紹介がキッカケになってベストセラーとなった(とはいっても、作者の重松清さんは、もともと人気作家なのですけどね)「その日のまえに」を読んだので、この松田さんの話は非常に興味深かったです。「紹介する側」とにとっても、「テレビで本を紹介する」という経験からは、いろいろと「学ぶ」ところがあるのだなあ、と。 「つまり、テレビの視聴者って、なにをしゃべってるかは聞いてないんだけど、その人が本気で薦めてるか、薦めてないかってことだけは、伝わっちゃうんです。」というのは、テレビという大きなメディアにかぎらず、僕たちの日常生活においてもよくみられる光景なのかもしれません。 例えば、誰かに本や映画を「オススメ」されたとき、僕たちがその作品に興味を引かれるかどうかって、実は、その「オススメ」の内容そのものよりも、「誰が」「どのくらいの熱意で」薦めてくれたのか?ということが、非常に大きな影響を与えていると思います。それまでの自分にとって、全く興味を持てなかったようなジャンルや作家の作品でも、薦めてくれた相手が仲の良い友達や恋人だったら、手に取ってみる人は多いはずです。 相手がそういう特別な人で無い場合には、やはり、その「読んでもらいたいという熱意」の差って、大きいと思うのです。同じように美辞麗句を尽くして「オススメ」してみても、その「薦める側の本心」っていうのは、画面を通してさえも伝わるみたいですから。そして、時には「理路整然とした説明」よりも、「言葉に詰まって絶句してしまう姿」のほうが、はるかに雄弁だったりもするのですよね。「説得力」というのは、必ずしも「おしゃべり上手」の専売特許ではありません。 そういえば、先日出席した結婚式で、新郎のお父さんが最後の挨拶で、感激のあまり言葉に詰まってしまったシーンがあって、僕はなんだか、その姿にジーンとしてしまいました。ああ、この人は、本当に不器用で誠実な人なのだなあ、と。どんなに感動的な挨拶よりも、その姿は、僕たちの記憶に残ったのです。 もちろん、テクニックとしての「美辞麗句」を全否定するつもりはありませんが、それだけでは、相手に伝えるには十分ではないのですよ、きっと。これは、サイトやブログだって、そうなのではないでしょうか。文章が上手でもなんだかスルリと頭を通り過ぎていくだけのブログもあれば、けっして巧い文章ではないけれど、心に響くブログもありますよね。
しかし、どんな僕たちが「熱意」をこめても「優香も泣いた!」というキャッチコピーには、ちょっと勝てそうにないんですが。
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