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2006年07月10日(月) ■ |
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奇才・楳図かずおの「創作のコツ」 |
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「GetNavi」2006年8月号(学研)の記事「エンタ・チャンネル」の「スペシャルインタビュー・楳図かずお」より。
(現在公開中の映画『猫目小僧』(井口昇監督)に関連して)
【そう、『猫目小僧』はもともとは極めてシリアスなテーマを持った作品なのである。人間の姿に近い妖怪として生まれた猫目小僧は、人間界と妖怪界、両方から迫害される存在なのだ。
楳図「”完璧な孤独”という状態にいるんですね、猫目小僧は。ふたつの世界の中間にいて、どちらにも食い込まずにいる。そういう境遇を悲しく思う人は多いでしょうけど、実は猫目小僧こそがいちばん自由なんです。どこにも属さない代わりに、どこにでも行ける。そして日々、見知らぬ屋根裏に忍び込んで、人間たちの様子を観察している。僕自身も、世の中を引いた視点で見ながら生きているので、猫目小僧はすごくお気に入りのキャラクターなんですよ」
なるほど、猫目小僧は楳図かずおの化身なんですね! と言うと、「それはうれしいですね!」とニコニコする楳図先生。確かに楳図ワールドは、人間界の常識には属していない。こちらが普通に信じていたものを、根底からひっくり返すのだ。
楳図「『漂流教室』なんかがまさにそうで、小学校丸ごとが突然異次元に飛ばされてしまう。人格も平穏だったときとはガラッと豹変してしまう。ホラーにしろ”ありえないことが起こる”という恐怖を描いていますから」
その発想は一体どこから?
楳図「創作のコツとして、僕は絶対に論理からは入らないんです。パッと思いついたことをまず描いてみる。それから”これってどういうことなんだろう?”と考える。最初に右脳でどんでもないことを一発ボーンと発想して、そこから左脳に渡す。最初に左脳から出てきたものってつまらないし、理屈としても的ハズレな場合が多いんですよ」
その驚異的な右脳から生まれた数々の楳図マンガが、『猫目小僧』に続き、『神の左手、悪魔の右手』(金子修介監督、7月公開)、準備中の『おろち』など、続々映画化されている。
楳図「僕のマンガを読んで育ったという世代の監督が、愛情を持って映画にしてくださるのはうれしいです。ただ本音を言えば、やっぱり監督のみなさんも芸術家なんだから、あまり原作をなぞらず、独自のイマジネーションで逆に僕を驚かせてほしい」】
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このインタビューを読んで、「ああ、楳図先生は、本当に根っからのクリエイターなんだなあ」と思わずにはいられませんでした。普通「原作者」というのは、「あまり原作をなぞらずに、僕を驚かせてほしい」なんて言わないものでしょうしね。 僕は子供の頃、楳図先生の「まことちゃん」を読んで、すごく衝撃を受けたことをいまでもよく覚えています。 それは、「面白い!」とか「凄い!」というよりは、「いったい何なんだこれは?」という、とにかく、圧倒的なインパクト。「グワシ!」とか、あれがどういう意味なのかは全然わかりませんでしたけど、よくマネしようとしたものです。僕の指では、ちょっと厳しかったのですが。
楳図先生は、このインタビューのなかで、「創作のコツ」の一端を明かされています。僕たちは、何かを考えるとき「筋道を立てて、結果を導いていく」ことが正しいと思いがちなのですが、楳図先生は、「まず思いついたことを描いてみて、それから、そのプロセスを埋めていく」そうなのです。 確かに、普通の発想法では、なかなか「普通のアイディア」の壁を越えるのは難しいのですよね。もちろん、そういう「右脳でとんでもないことを思いつく」ということそのものが「才能」ではあるのですけど、多くの人が「こんな適当な思いつきなんて、意味ないよね」と捨ててしまう「発想」こそ、楳図先生にとっては、オリジナリティの宝庫なのです。
楳図先生は、現在は腱鞘炎でマンガの創作からは離れておられるそうなのですが、大人になってからあらためて楳図作品を読み返してみると、なんだか、子供の頃にはわからなかった「怖さ」と「凄さ」をあらためて感じるんですよね。 右脳マンガ、恐るべし。
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