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2006年06月18日(日) ■ |
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東海林さだおさんの「読まれるエッセイの書き方」 |
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「もっとコロッケな日本語を」(東海林さだお著・文藝春秋)より。
(東海林さんと高橋春男さんの対談「文書の書き方、教えます〜高橋春男さん売り出し作戦会議開始」の一部です)
【高橋:東海林さんは雑文家であると同時に雑知識家でもあるんですよね。書くときは、いろんな引き出しから出して来て、パッパッパッと並べていくみたいところがあるんじゃないですか。
東海林:そんなことないよ。それとね、出だしは短く。一行で収まるように。
高橋:雑誌の一行って……。
東海林:13字から18字ぐらい。一行目は短くないと、読者は読むのがやんなっちゃうのね。
高橋:東海林さんは改行も多いですよね。あれは字数を稼ぐため?
東海林:そう(笑)。
高橋:まあ、ぎっしりで、おまけに漢字が多くて、ページが黒々としていると、それだけでゲンナリしちゃいますからね。
東海林:うん。ある程度、隙間があったほうが読もうって気持になりますね。
高橋:料理を並べたときみたいなもんでね。
東海林:楽だし、スカスカは(笑)。
高橋:でも、結局は東海林さんの人格が出てるんだと思うんですよね。あんまり詰め込まないで、あっさり行こうみたいな。
東海林:うーん、お肉屋さんのコロッケみたいな文章を書きたいなと思ったことはあるね。
高橋:ジャガイモばっかりの。
東海林:中に挽き肉の一粒でも入ってると嬉しい(笑)。
高橋:あ、それ、そのままやってらっしゃるじゃないですか。
東海林:意識としてそうなの。だから、エッセイストじゃない。
高橋:メンチカツみたいなのは書きたくないんですね?
東海林:いや、メンチでもいい(笑)。
高橋:トンカツはダメ?
東海林:う〜ん、メンチまでかな(笑)。】
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エッセイの「名手」として知られる東海林さん。 東海林さんのエッセイは、さらっと書かれているようで、実は、その「さらっと読ませる」陰には、さまざまな気配りがなされているようです。 ここに「出だしは短く。一行で収まるように」と書かれているのを読んで、実際にこの文庫に収録されているエッセイで確かめてみたのですが、【人間に限らず、動物の世界にもドーダはある。】【突然ではありますが、人はなぜカバンに憧れるのでしょう。】【「次回は『冬山に挑戦』というのはどうでしょう」】など、18字以上のものも多いのですが、確かに、いずれもかなり短くまとめられているのです。東海林さだおのエッセイといえば、たくさんの固定読者がいる「優良ブランド」であるにもかかわらず、東海林さん自身は、あくまでも「読者の視点」それも、「その連載エッセイを初めて読む読者」を想定して書かれているのだなあ、ということが伝わってくる話です。 単に短ければいいというものでもなくて、ここに取り上げた「最初の一文」は、いずれもその短い文章を読んだだけで「これはいったい、どんな話なんだ?」と興味を引かれるような内容でもあるんですよね。 まあ、凝った表現が持ち味のエッセイストの人もいますし、こういう工夫は、必ずしも万能ではないのかもしれませんが、読む側としては、よほど魅力的な文章か、好きな作家でもないかぎり、「ぎっしりと文字が詰まった文章」はなんとなく敬遠してしまいがちではありますし。 「他人に読んでもらうための文章」であれば、「自分でカッコイイと思う、凝った表現」をいきなりぶつけてうんざりされるよりは、「最初の一文は、とにかく短く、濃縮して」というのは、一度試してみる価値が十分にありそうです。 しかし、実際にやってみると、「短いから簡単」ってわけでは全然ないんですけどね、こういうのって。
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