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2006年06月06日(火) ■ |
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おたくが社会性を身につける「いちばんの早道」 |
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「特盛!SF翻訳講座〜翻訳のウラ技、業界のウラ話」(大森望著・研究社)より。
(「大森望☆サクセスの秘密」という対談の一部です。聞き手は、漫画家・イラストレーターの西島大介さん)
【西島:冒頭でSFの話はしないと言っていたのに結局SFの話になってしまった。ところで、この辺で子育ての話をしたいんですけど、やっぱり子供が二人いるのはたいへんですか?
大森:まあ、たいへん。一人のときは子供の面倒を全部女房にまかせられたんだけど、二人ともまかせつづけてると一週間くらいで家族の雰囲気が険悪になるから(笑)、こっちの仕事が忙しくてもあんまり放っておけない。マンガ喫茶とかファミレスに自転車で出勤するんだけど、平日の昼間から、保育園の同級生のお母さんとか、園児を散歩させてる保母さんとかに道ばたでばったり会っちゃうから、「トキオくんのお父さんは今日もアルバイト」とか言われてて(笑)。世の中的には「フリーターのおじさん」。
西島:僕も近所の人に「マンガ描いてます」と言うほどでもないので言ってないんですけど、いつも家にいるから「何してるんだろう?」と思われているはずですね。「あそこの家は妻が働いて夫が家を守っている」みたいな感じかも。
大森:オレ、いきつけの喫茶店の人には、『航路』とか『文学賞メッタ斬り!』とかあげてるよ。
西島:僕、『凹村戦争』の謝辞にファミレスの名前を入れてます。
大森:そういう配慮が大切だよね。あと、おたくが社会性を身に付けるうえで、子供は重要。
西島:良くも悪くも地域社会に否応なく縛られますよね。近所の人とか幼稚園で会う人とかと交流しなきゃいけなくなるし。
大森:でもさ、子供がいたらとりあえず話題には困らないじゃない? 近所の人と天気やプロ野球の話ができなくても、とりあえず子供をネタにすればコミュニケーションがとれる。SFおたくも無理なく地域社会に溶け込めるんですよ。だから社会性を身につけるいちばんの早道は、子供をつくることじゃないかと。それ以前に、最低限の社会性がないと、子供をつくる相手が見つからないという問題はあるんだけど(笑)。でも、代償も大きいよね。子供って、ずーっと出ない単行本をつくってるようなものでしょ。】
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これを読んで、確かに「子供をつくる」というのは「社会性を身に付ける」ための特効薬かもしれないな、と思いました。いや、僕はもう15年くらい一人暮らしをやっているんですけれども、極端な話、一人であれば、地域社会というものに対して、とりあえず挨拶をしたり、ゴミの分別をやっておいたりすれば、それ以上積極的にかかわる必要性というのをあまり感じないんですよね。「もっとちゃんとご近所づきあいしなくては!」と仰る向きもあるのは承知の上ですが。 もちろん、結婚して二人暮らしとなれば、それなりに「義務」的なものも課せられてくるみたいですが、まあ、そういうのも「最低限の義務だけは果たす」というスタンスでも、そんなには大きなトラブルにはならないはずです。大事件でも起こせば、ワイドショーで御近所さんから、「ヘンな人だった」とか言われるくらいのリスクはありますけど。 「御近所づきあい」なんていうのは、多くの大人にとっては、喜ばしいものであるというよりは、煩わしいものの代表格であるような気がします。 大人であれば、別に近所の人と仲良くしなくたって、コミュニケーションの場は職場や今までの人生における人間関係に求めればいいはずです。「夫の転勤で知らない土地にやってきた専業主婦はどうするんだ!」と問われたら、ちょっと答えに窮してしまうとしても。 しかしながら、「子供がいる」となると、話は変わってくるんですよね。幼い子供は電車に乗ったり、自分で車を運転したりして友達のところに遊びに行くわけにはいきませんから、どうしても「近所の子供たちと遊ぶ」ことが必要になってきます。「めんどくさいから、ずっと家で一人で遊ばせておく」のは、さすがに親として失格でしょう。 そして、一人の大人としては「お近づきになりたくもない、近所の煩いオッサン、オバサン」であっても、その人が、「うちの娘の友達のクミコちゃんのお父さん、お母さん」であれば、それはやっぱり、「子供は子供」というわけにはいきませんよね。結局そうやって、親というのは「地域社会」に巻き込まれていくのです。 そう考えると「子供をつくる」というのは、まさに、「おたくが社会性を身に付けるためのいちばんの早道」なのかもしれませんね。早道というか、かなりの「スパルタ教育」のような気もしますけど。 でも、これって、逆に言えば「コミュニケーションが苦手なおたくにとっては、子供を持つというのは茨の道である」ということでもあるのだよなあ、うーん……
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