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2006年06月02日(金) ■ |
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リリー・フランキーさんにとっての『東京タワー』 |
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「本屋大賞2006」(本の雑誌社)より。
(「2006年 本屋大賞」受賞作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を書かれた、リリー・フランキーさんの「受賞のことば」の一部です)
【この本を装丁しているときも、丁寧に扱ってもらいたくて、わざとはげやすい金箔をつけたり、手垢のつきやすい紙にしたり、なるべくブックオフに持っていかれない、大切にしてもらえるような本にしたいと意識したので、そう願って作った本を本屋さんも大切にしてくれている、というのがものすごくありがたいですね。 『東京タワー』は母親が死ぬ直前に病院で書き始めました。もう5年前になりますが、母親の写真を撮ったり、絵を描いたり、いろいろしたけど、それだけではすくいきれない部分がどうしても残る。そうなると、やっぱり文章にするしかない。でも、最初は本にするとか作品にするつもりじゃなかったんですよね。お袋のことを書きたい、と思っただけで。 ただ、それは書きなれたエッセイにも短編小説にもならなくて、何回も書き直しをして、遅々として進まずにいたんです。そこに「en-taxi」が創刊になって、誘っていただいたので、ここで書かせてもらおう、と。たぶん連載になっていなければ、まだ書き終えていないでしょうね。そういう意味ではタイミングがよかったのかもしれない。これで書きよどんだら、書く意味がないな、と思いましたから。
(中略:『東京タワー』を書き出してから、現在までそんなに時間が経っていないような気がしてならない、というリリーさんの現在の心境が語られます)
それは『東京タワー』が書いて終わりの本じゃなかったからかもしれません。肉体的には書いたあとのほうがずっときつかった。サイン会に来てくれる人って、たとえば3時間やっていたら、いちばん最後の人は3時間立って待ってくれているわけじゃないですか。それでもきてくれる、話をしていってくれる。そのエネルギーはすごい。サイン会だけで100時間以上やっていますから、何千人かのエネルギーに向き合うのは、吸い取るのか吸い取られるのか、 わからないけど、ものすごく消耗していく部分はあるんですよ。僕は読んでいる人が何を考えているのか、どういう人なのか、聞きたい。だからサイン会では、ひとり3、4分は話をします。その分、吸い取られるエネルギーが多いのかもしれない(笑)。 泣ける本と言われますけど、書いている間、泣いてもらいたいと思ったことは一度もありません。サイン会でも泣けましたって感想はもらいましたけど、話を聞いてみると、この本の中の世界だけで、泣いたとか感動したとかじゃなく、本の内容から読者の方が自分の家族のことにフィードバックして、いろいろ思われて、何か心に期するところが生まれるらしい。この本が泣ける本だということではなく、この本がきっかけで自分のことを考えて泣いてしまうということですよね。そうやって、いろんな方の話を聞いているうちに、泣けると言われても違和感はなくなりました。】
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リリー・フランキーさんの「本屋大賞」受賞インタビューの一部なのですが、このインタビューではとくに、リリーさんは率直にこの作品のことを語られているような印象があって、非常に興味深く読みました。 なんでも、「本屋大賞」は、リリーさんにとって、「みうらじゅん賞」と並ぶ、「数少ない『欲しい』と思った賞」だったそうです。
このリリーさんのことばを読んで、僕が驚いたことは、まず、この小説の原型が、リリーさんの「オカン」が亡くなられる直前、つまり、まだ生きておられるときから書き始められていた、ということでした。考えようによっては不謹慎なことなのかもしれないのですが、そのときのリリーさんは、この作品を書くことによって、「オカン」に永遠の命を吹き込もうとしていたのかもしれません。それはまた、作家の「業」とも言えそうですけど。 あと、リリーさんのサイン会での姿勢にも驚きました。そりゃあ、初期のモーニング娘。の握手会とか、ジャニーズのイベントみたいに何千、何万人とサイン会に人が集まることはないでしょうが、それでも、【サイン会では、ひとり3、4分は話をします】というのは、すごいエネルギーを必要とすると思います。ちょっとした病院の診察時間くらいの時間をかけて、リリーさんは、初対面の「読んでいる人たち」と話をしていたのです。サイン会で「3時間立って待っていてくれる」ということを引け目に思うのならば、普通は「さっさとサインをして、人数をさばいてしまおう」と考えますよね。しかしながら、リリー・フランキーという人が、だからこそ「ひとりひとりと、ちゃんと話をする」のです。「待たせるのは申し訳ないから簡単に」ではなくて、「待ってくれているのだから、待っただけの価値を感じてもらえるように誠実に」というのが、リリーさんの考え方なのでしょう。 いや、初対面の人と3分間話すのって、そんな簡単なことじゃないですよ本当に。
こうしてみると、『東京タワー』がこれだけ売れたのは、作品そのものの魅力はもちろんなのですが、作品に対するリリーさんの向き合いかたや、下世話な言い方をすれば「読んでもらうための営業努力」も大きかったのかもしれませんね。「この本が泣ける本だということではなく、読んだ人がそれぞれ自分の体験にフィードバックして泣いているのだ」と分析されているのも凄いです。 おそらく、リリーさんにとっては、この『東京タワー』という作品は、「一生に一度の作品」だったのでしょうね。こんな書き方や売り方なんて、何度もできるようなものではないでしょううから。
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