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2006年05月31日(水) ■ |
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この世界に、新しい浴衣の版型を増やすということ |
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「CONTINUE Vol.27」(太田出版)の糸井重里さんへのインタビュー「ゲームとは、母のような存在」より。
(2003年12月に東京都写真美術館で開催された「ファミコン生誕20周年・レベルX テレビゲームの展覧会」のために行われた糸井重里さんのインタビューを再録したものの一部です。糸井さんが『MOTHER』をファミコンで作っていた時代のことをふりかえって)
【インタビュアー:当時、糸井さんの発言で「ゲーム作りは箱庭療法」という言葉がありましたね。実際にゲームを作られていて、癒される部分があったということでしょうか?
糸井:まあ、僕の悩みは口にしないですけどね(笑)。そもそも「箱庭療法」ってのは、箱庭を作っているうちに、悩みと直結していないことであっても、自然と悩みが直っていくというもののわけで。個人的に、それが必要だった時期があったということですよね。たとえば、『MOTHER』ではアメリカンホームドラマのような物語にしながらも、主人公と父親を離しておく。それは、ずばり自分の状況なんですよ。そのあたりは意図的に織り込みました。「自分の子供が見るだろう」と思ってね。そういう細かい感情を端々に苦し紛れに入れることによって「僕はこういうやり方で生きてきたんだな」「これを良しとしていて、これをダメとしているんだな」ということが再確認できる。臨床心理士の人が見たら「作品は個人を写している」と言うんでしょうね。
インタビュアー:自分が作品に投影されてしまうわけですね。ところで、糸井さんは『MOTHER』を作っていた頃、いろいろな方に「ゲームを作んない?」とお誘いしていたようですけど。
糸井:それは、ずっとありましたね。「僕自身がこんなに夢中になれることなんだから、みんな作ればいいのになあ」って思っていました。そうそう、昨日ラジオを聴いていたら、(笑福亭)鶴光さんの番組で面白いことを言ってたんです。江戸浴衣を作っている、人間国宝みたいなおじいさんが出てきてね。江戸浴衣には版型があって、江戸時代から代々受け継がれているそうなんですよ。だから、版型を引き継いでいる人の間で売ったり買ったりするものなんだそうですけど、そのおじいさんが自分の息子に「買うたらあかん。誰かが買うのはいいけど、おまえが買うなら、作れ」と言ったそうなんですよ。「作ったら、もうひとつ型が増えるだろう」と。
インタビュアー:なるほど!
糸井:ゲームの世界でも、江戸浴衣でも、作ればいい。作ったら、世界のクリエイティブが増えるということなんです。「俺も、あんたの作ったゲームをやりたいしさ!」って、そんな気分でしたね。もちろん下手なカラオケを聴くのが辛いように、誰にでもお願いするのはイヤなんですけど、やっぱり文章が面白い人や、しゃべっていてアイディアが面白い人を見ていると、どんなゲームを作るのか期待したくなりますよね。もちろん、僕が宮本(茂る)さんに会って知ったみたいに「自分のアイディアを引き受けてくれるチームがないと、それは形にはならないよ」ということも併せて言っていましたけど。そうすると、みんなやる気をなくしちゃうしねえ。そこは難しかったですよ。「日本百名山を二百にしてみないか?」って話をしていたんですけどね。純粋に「これはいいな」と思えるものを増やしていきたかっただけなんですけど。】
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原文は、糸井さんの「ゲームへの愛情」が伝わってくる素晴らしいインタビューなので、機会があったら、ぜひ御一読ください。 ここでの糸井さんの話からは、『MOTHER』というゲームは、糸井さんにとて「創作活動」であったのと同時に、「自分を見つめなおす行為」でもあったのですね。当たり前のことなのですが、人は自分の中に無いものを「表現」することはできませんから、糸井さんは、ゲームを作りながら「自分はこんなことを考えていたのか……」と、あらためて感じていたのでしょうね。 そして、『MOTHER』というゲームは、糸井さんにとって、「自分の子供へのメッセージ」でもあったようです。「ゲーム」という「なるべく多くの人に受け入れられてほしい商品」を作っているうちに、どんどん「個人的なもの」が反映されていくというのは、ちょっと不思議な気もするのですが、創作というのは、たぶん、そういうものだろうな、とも思えてきます。
ここで糸井さんは、ラジオで聴いたという「江戸浴衣職人の話」を引用されています。そして、この話には、この老職人だけではなくて、糸井さんの「クリエイターの矜持」を強く感じるのです。 この職人さんは、自分の息子に、「他人の版型を買うなら、自分で作れ」と言いました。たぶん、既成の人気のある型や美しい型を買ったほうが、手間もかからないだろうし、商品としての浴衣だって売れる可能性は高いと思うのです。でも職人は、そういう目先の利益よりも、「この世界に浴衣の版型をひとつ増やすこと」に誇りを持つようにと、息子に話したのです。 もちろん、そうして新しく作られる版型がすべて傑作というわけにはいかないでしょうし、現実的には、受け継がれていくような「作品」になるのは、ごく一握りのものでしかないでしょう。もしかしたら、彼らの「創作」は、全く歴史に残ることなんてないのかもしれません。それでも、「新しいものを作っていこうという気概」が、「要領よく、過去の遺産を消費していくこと」よりも意味を持つ場合はあるのです。そして、そんな非効率的にみえるプライドの積み重ねが、少しずつ、全体を「進歩」させてきたのだと思います。 まあ、口で言うほど「創作」というのは、簡単ではないのですけれども、それでも、「新しく何かを世界に遺そうという意思」というのは、その創作物の出来にかかわらず、素晴らしいものなのですよね。 少なくとも、他人が作ったものを、ああだこうだと言っているだけの人には絶対に届かない「未来への矜持」が、そこには存在しているのです。
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