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2006年05月28日(日) ■ |
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「脱げ」とか「何で脱がないの?」と言われるたびに |
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「嫌われ松子の一年」(中谷美紀著・ぴあ)より。
(中谷美紀さんの主演映画「嫌われ松子の一生」の撮影日記の一部です)
【撮影の合間には、刑事役で出演してくださっている渡辺哲さんが「この本は本当に面白いよね。最初に読んだとき泣いたもんな。どんな作品になるか楽しみだよ」とおっしゃってくださった。因みに「ねえ、脱ぐの?」なんて聞かれて「いいえ、脱ぎません」と即答すると、「何だよ脱げよ!」と言われてしまった。「脱げ」とか「何で脱がないの?」と言われるたびに、面倒くさいなあと思う。裸のインパクトに、他のシーンの演技が劣らないくらいいい演技ができるようになって、ギャラも10億円くらいいただけるくらいの大女優になったら、いつでも脱ぎますよ。まあ、そんな日は死んでも訪れないでしょうけど。】
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【「脱げ」とか「何で脱がないの?」と言われるたびに】というくだりを読んで、女優さんというのは、けっこう頻繁にこういう不躾なことを言われているものなのだなあ、と思いました。そして、そういうセクハラ的な周囲の言葉に対しての中谷さんの感想が「嫌だ」ではなくて「面倒くさい」であるというのは、なんだかもう、こういうやりとりに疲れ果てているという印象を強く受けてしまいます。男の役者であれば、映画に出るたびに「脱いでないの?」なんて聞かれることはないだろうし。 いや、映画の商業的な面からいえば、「有名女優がヌードに!」というのは、確かにかなりのプラスにはなると思うのですよね、やっぱり。もっとも、今のネット時代では、有名人のヌード写真集も、すぐにネット上にアップされてしまって昔ほどは売れなくなったと言いますから、映画であってもその「経済効果」は、昔ほどではないのかもしれませんけど。
よく「必然性があれば脱ぎます」なんていうことを言う女優さんがいますが、残念ながら、多くの「有名女優が脱いだ映画」というのは、「誰々が脱いだ作品」として語られることがほとんどだったりするわけです。まあ、世の男にとっては、「裸のインパクト」を超えるような感動を与えてくれる作品というのは、まず、ありえないものなのかもしれません。極論すれば「必然性」なんて、あってもなくても裸の女性がいれば、そちらに目が向いてしまうし、それが有名女優であれば、それまでのストーリーとか彼女が演じている役柄というのは、とりあえずどうでもよくなってしまいがち。 結局、「そのインパクトを超えるような演技」っていうのは、難しいというか、不可能なのかもしれませんね。
でも、これを読んで、僕も「中谷さん、少なくともしばらくは脱ぐ気ないんだなあ、うーん、ちょっと残念…」と思ってしまったのも事実なのですが……
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