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2006年05月19日(金)
ある老舗ケチャップメーカーを救った、一行のコピー

「ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜」(齋藤由多加著・幻冬舎)より。

【アメリカの老舗ケチャップメーカーのハインツが、シェアを落としたときの話です。
 シェア低下の理由は、競合他社のケチャップがチューブで販売されていたこと。ハインツのトレードマークであるガラスのビンでは、振っても振っても中身がなかなか出てこない。いっぽう競合他社は、手で絞ると簡単に出てくる。
 これに対抗するためハインツの経営陣は、ケチャップの成分を液状に変えるか、それとも長年のトレードマークであるビンをやめるか、最後の選択を迫られていたといいます。どちらを選択しても老舗の看板イメージを大きく変えることになる。
 そのとき、あるマーケッターがこういう提案をしたそうです。
「ハインツのケチャップが、振ってもなかなか出てこないのは、それだけトマトをふんだんに使っているからです」というキャンペーンをしてはどうか、と。
 健康ブームも手伝ってか、結果、これでハインツはシェアを挽回したといいます。このときの、ホットドックを持ったカップルがジェットコースターに乗るCMは、日本でも放映されたので覚えている方もいるかもしれませんね。
 モノゴトの良し悪しというのは絶対的なものではないようです。たった一行のコピーでその価値観をひっくり返してしまうというのは、いかにもゲーム的なエピソードだなぁと思った次第です。】

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 そのキャンペーンのあと、ハインツのシェアがどうなったのかはここには書かれていません。その「価値観の転換」は、持続的なものだったのか、それとも、やはりみんな「便利なほう」に流れていって、ハインツは「看板イメージの変更」に踏みきらざるをえなかったのか……
 しかし、「同じもの」であっても、そこに添えられている一行の「キャッチコピー」の力で、人の見る目なんて、いくらでも変わってしまうものなのだ、ということが非常によくわかるエピソードではありますよね。「振ってもなかなか出ないことが、価値の証明なのだ」と言われれば、いままで単に「不便」だと思っていたことが、ものすごくありがたく見えてきたりもするわけです。
 例えば、金遣いが荒く、女性問題を起こして逮捕され、薬物漬けで亡くなったアーティストの人生が紹介されるときに「破天荒で自由奔放な生きざま」なんていうコピーがつけば、それが「価値」になってしまうように。
 この話、逆に考えれば、僕たちが日頃「価値がある」と思い込んでいるものは、必ずしも絶対的なものじゃない、ということも言えるんですよね。それこそ、「そういうイメージを植えつけられている」だけなのかもしれません。
 ミネラルウォーターのほうが安全だとか、抗菌グッズを使わないと不安だとか言うけれど、実際のところ、それらが劇的に利用者の健康に寄与しているかと言われると、それほど大きな影響はないような気がするんですよね。
 でも、誰かにそう言われると、やっぱり心配にはなるのです。

 ほんと、「モノゴトの良し悪しというのは絶対的なものではない」と僕も思います。