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2006年03月26日(日) ■ |
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同期ってそんなものじゃないかと思っていました。 |
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「沖で待つ」(絲山秋子著・文藝春秋)より。
(住宅機器メーカーに同期で就職し、一緒に福岡営業所に配属された「私」と「太っちゃん」の話)
【特約店相手だったら、ある程度、急な事情も理解してもらえるのですが、新規工務店の最初の現場はワンチャンスだからそうはいきません。インフルエンザで40度近い熱を出した太っちゃんが、70キロ離れた伊万里の現場まで行くとき、運転をしていったのは私でした。会社の裏の内科で点滴を打ってもらって一瞬ハイになった太っちゃんは、もう大丈夫だからいいよそんな、と言ったのですが、私は予定をキャンセルしたんだから、と言って譲りませんでした。助手席に収まった太っちゃんは、もう大丈夫だからいいよそんな、と言ったのですが、私は予定をキャンセルしたんだから、と言って譲りませんでした。助手席に収まった太っちゃんは、いつものように軽口をたたきました。 「さては俺に惚れたな」 「ばか。誰が惚れるか」 けれど今宿をすぎるころには、太っちゃんは車に積みっぱなしにしていた現場用のジャンパーを着込んでぶるぶる震えていました。 「悪いな」 震えながら太っちゃんが言いました。 「惚れても無駄だよ」 私が言うと太っちゃんは口の端だけで笑ったようでした。 「現場行ったらしゃきっとしなよ。今は寝てりゃいいんだから」 仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。 同期ってそんなものじゃないかと思っていました。】
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きっと、ここに書かれているエピソード以外にも、「私」と「太っちゃん」は、お互いに助け合って仕事をしてきたのだと思います。その「現場」がきつければきついほど「同期」の結びつきというのは、強くなっていきがちなものなので。僕も研修医になってすぐの頃の同期のことは、いまだによく覚えています。けっこう転勤が多い仕事なので、いろんな人と一緒に働いてきたのですが、最初のいちばん辛かった時期の「同期」というのは、やっぱり特別なのです。正直、この文章のエピソードにしても、自分たちの新人時代のことを思い出してみても、「ここまでして体調の悪いときに無理して仕事をしなくてもいいのに…」ということはたくさんあるのですが、それでも、当時はみんな余裕がなくて「これは自分がやらなければならない」という場所から、一歩引いて考えてみることなんてできなかったんですよね。 そういう「同期の団結」って、どちらかというと「軍隊的」みたいなものなのかもしれません。いや「もしお前が倒れてその分の仕事もやらなければならなくなったら、俺も共倒れ」という、切実な「助け合わなければならない事情」があったのも事実ですし。 この文章のなかでは「惚れる」という言葉が出てくるのですが、男と女がこんなふうに「同期」だった場合、「純粋な恋愛感情」というのは生まれにくいのかもしれません。でも、同性に対してよりは、お互いに「ライバル意識」が生まれにくいような気がするので、とくに男にとっては、こういう「異性の同僚」というのは、自分の弱みを見せられる数少ない存在なのではないでしょうか。男同士って、なんでもあけすけに話せるようでいて、意外と相手と自分の力関係を意識したりしているものなので。 でも、こういう「同期」も、みんな偉くなっていくと、それぞれ嫉妬しあったり蹴落としあったりするような場合もあるんですよね。 【仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。】そんなふうに思える時期は、本当は、いちばん貴重な時期なのかもしれません。
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