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2006年03月08日(水) ■ |
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ナポレオンの「片腕」だった男 |
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「ナポレオンに選ばれた男たち〜勝者の決断に学ぶ」(藤本ひとみ著・新潮社)より。
【情報の収集から決定、実行までの速さに、ベルティエは目を見張った。まるで下士官のような身軽さだった。様々な軍隊の司令部に所属してきたベルティエは、せっかく情報を提供しても、それを生かしきれない将軍をたくさん見ていた。決断力がないのである。今動かなければチャンスを失うと言う大事な局面で動けない。参謀としてははがゆくもあったし、自分のそれまでの努力が無になるむなしさをかみしめることもたびたびだった。 だが、この司令官は違う。もしかして彼なら、現状を何とかしてくれるかも知れない。希望を持ったベルティエはナポレオンと2人になる機会をとらえ、自分の調査結果を報告した。 「よく言ってくれた」 ナポレオンは、ベルティエの肩をたたいて激励した。 「参謀長のあなたは、私の片腕だ。あなたの力なくして私は何もできないだろう。これからも大いに活躍してくれ。期待している。もちろん、それなりの名誉も報酬も用意するつもりだ。よろしく頼む」 それまでベルティエは、司令部の将官として、実戦に関わる将官たちから無言の差別を受けてきた。司令官からもである。 「参謀なんて、しょせん事務屋だからな」 そう言われたこともあった。軍隊においては、銃弾の飛び交う戦場で活躍してこそ名前を認められ、名誉や報奨金を手にすることができる。司令部が情報を収集し、兵站を管理し、統括しなければ軍は戦えないのだが、それを理解する司令官は少なかった。 参謀は陰の存在となり、身分制度がしっかりとしていた革命以前ならともかく、革命後の実力主義の軍内では報いられなかった。 ベルティエは、それを不当だと思いながらも甘んじてきた。声を上げても、取り合ってくれる人間がいなかったのである。だが今ここに、参謀を片腕とまで言ってくれる司令官が現れたのだった。ベルティエは、ナポレオンについて行こうと決心した。自分を評価してくれる人間のために働きたいを思ったのだった。 以来ベルティエは、ナポレオンのかたわらで働き続けた。地図を読み解き、錯綜する情報を整理し、なまりの強いナポレオンの言葉を正確にとらえて文書化し、各部隊に伝達した。 ナポレオンは、ベルティエのペンが追いつけないほどの速さでしゃべり、時には文書化できないほどの俗語を交え、またエルバ島をエルブ島と言い、イタリアのオゾホをイゾープと言い、スペインのサラマンカをスモンレスクと言った。人名も平気で間違え、タレイランのことは終生タイユランと呼び続けていた。 さらに始終話を飛躍させ、一つの作戦を命令している途中に他の命令を思いつき、それを話している間に別の命令を混ぜ、いつの間にか最初の命令に戻っているといった調子だった。 整理の好きなベルティエにとって、混乱は情熱をかきたてるものだった。努力を重ねてベルティエは、ナポレオンについていった。 このため、1日の労働時間が13時間を超えることもまれではなかった。ナポレオンが休んだり眠ったりしている間に、ベルティエは命令書の清書をしたり、補足をしたりしてそれを完璧なものにしなければならなかった。そして休もうとすると、ナポレオンが起きてきて次の仕事が始まるのだった。 四六時中ナポレオンに寄り添ううちに、ベルティエは、ナポレオンの思索を読み取れるようになった。たとえナポレオンが言い間違えても、ベルティエの命令書には、本来ナポレオンが言うはずだったことがきちんと書かれる。ナポレオンはベルティエを絶賛した。 「不可欠の協力者、理想の参謀長だ」 これを面白くなく思ったのは、戦場を活躍の場としている将官たちだった。彼らは事あるごとにベルティエの神経質な性格や、爪をかむ癖などを皮肉った。 ベルティエはたいそう傷ついたが、どうやって対抗すればいいのかわからなかった。口下手だったし、相手は大勢で、しかもりっぱな体格をした戦いのプロだった。ベルティエはじっと我慢をし、ただ働き続けた。】
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皇帝ナポレオンの名前を知らない人はいなくても、ナポレオンを支え続けた参謀長ベルティエの名前は、知っている人のほうが少ないくらいではないでしょうか。僕も、某シミュレーションゲームをやるまでは、こういう人がいたことを全く知りませんでした。 しかしながら、この文章を読んでいると、もし、この有能な参謀長がいなければ、ナポレオンはあそこまでの成功を収めることができたのかどうか、僕には疑問に思えます。ナポレオンがどんなに素晴らしいアイディアを持っていたとしても、天才であるがゆえにあちらこちらに飛躍している話を、「普通の人間」である他の将軍たちや兵士たちに伝わるように「翻訳」する人がいなければ、たぶんそのアイディアは、「机上の空論」に終わっていたはずなのです。「3時間しか眠らずに仕事をしていた」と言われるナポレオンの傍にずっといて、しかも、ナポレオンが休んでいるときも仕事をしていたというのですから、それはまさに「激務」としか言い様がないものだったと思われます。 しかしながら、【緻密で正確かつ迅速な仕事のできるベルティエは、ナポレオンにとって必要な存在だった。だがあまりにも地味で神経質、幅の狭いその人柄に、ナポレオンは、人間的魅力を感じなくなっていった】のです。そして、「緻密な仕事以外には、無価値な男」として、冷遇されるようになってしまいます。のちに皇帝に復位してワーテルローの戦いに臨むナポレオンの周囲の将軍たちは、ナポレオンの招きに応じなかった参謀長・ベルティエの不在を最も嘆いたそうです。彼がいないとナポレオンの軍隊は機能しない、と。 歴史というのは、ひとりの英雄によって象徴されがちなものですが、実際は、この参謀長・ベルティエのような「英雄を支える人々」の力こそ、歴史を動かしていたのかもしれません。 もちろん、ベルティエだってナポレオンに出会うことがなければ、こういう形で歴史に名前を残すこともなく、ただの「几帳面なだけのつまらない人間」として生涯を終えていたのかもしれませんし、こういう人を「片腕」として評価したナポレオンの見識こそが成功をもたらしたもの事実なのでしょう。そして、その見識も、自分が偉くなると失われてしまうというのもまた「人間的」だと言えなくもないのですが……
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