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2006年02月08日(水) ■ |
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21年目の「のり子は、今」 |
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読売新聞の記事より。
【サリドマイド児の日常を描いたドキュメンタリー映画「典子は、今」(1981年、松山善三監督)に主演、約21年間取材を断ってきた白井のり子さん(44)が、読売新聞のインタビューに応じた。3月末、勤務先の熊本市役所を退職、講演活動に専念する準備を進めていることを明かし、「私には障害者という自覚は全くありません。せっかく頂いた命、今を楽しく生きていきたい」と、にこやかな表情で語った。 熊本市出身。サリドマイドの影響で両腕に障害を持って生まれた。右目の視力もほとんどない。一度は入学を断られたが、小、中、高校と進み、1980年、サリドマイド被害者として全国初の公務員になった。 就職後間もなく、映画会社から出演の申し入れがあった。障害を売り物にするような抵抗感がある一方、知らない世界への興味もわいた。決断させたのは、監督の言葉だった。「多くの障害者が、あなたを見て元気になるような映画を作りたい」。母親は反対したが、自分に与えられた使命かもしれない、との思いで承諾した。 封切り以降、生活は一変した。全国から寄せられた手紙は、1か月3万通にのぼった。職場(福祉課)にも「見学者」が訪れた。カメラを向けられ、困った顔をすると、「映画と違って、愛想がないね」と非難された。 「映画の典子が独り歩きしていた」。映画を見た人がイメージする“典子”と、現実の自分のギャップに悩んだ。「自分を見失ってはいけない」との思いでいっぱいだった。
21歳で結婚。22歳で長女を出産した。以後、講演、執筆、取材などの依頼をすべて断ってきた。 「普通に生活、仕事をしているだけ。特別に話すことは何もない」。そう思っていた自分に、心境の変化が表れたのは、40歳を過ぎたころ。子育てが一段落して、自分を客観的に見つめられる余裕ができ、「映画を見てくれた人たちの感想を、素直に受け入れられるようになった」。 上がり症で、人前で話すのが苦手だったため、話し方教室に通い始めた。苦手意識を克服したことで肩の力が抜けてきた。 「映画の典子じゃなく、今の“のり子”を知ってもらえばいいのかな」。昨年8月、初めて講演依頼を引き受けた。 福岡市のイベントホールで、介護福祉士約600人を前に話した。緊張して原稿の棒読みになった。サリドマイド被害について。繰り返される薬害への憤り。家事と仕事との両立の難しさ。母として。長女、長男とも、ひもなどを使っておんぶやだっこをしたことも……。2時間があっという間だった。 「昔、映画を見ました。元気が出ました」。講演後、そう言って涙を流した同世代の女性がいた。「ありがとう」と素直に言えた。 昨年10月、退職を決意。事務所設立の準備を進めながら、これまでに熊本、福岡両県で7回講演した。 「皆さんの素朴な疑問が顔に書いてあるんです。『どうやって顔を洗うのかな』とか」。そんな時は機転を利かせ、足で携帯電話を取ってみせる。 「見せ物、との気持ちはなくなりました。これから、スカイダイビングやスキューバダイビングにも挑戦したい」と屈託なく話すのり子さん。新しい世界で、新しい自分に出会えるのを楽しみにしている。】
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若い女性が、駅の階段を上がる途中で、肩からかけていたバッグを、ごとん、と階段に落としてしまいます。その女性は、近くの人に「すみません!」と声をかけて、そのバッグを自分の肩にかけてもらいます。 しばらく歩いていると、彼女は、またバッグを床に落としてしまいます。 急いでいるのか、かかわりたくないのか、「すみません!」という声を何人かの人が無視して通り過ぎたあと、ひとりの男性が、バッグを拾って、彼女の肩にかけてあげます。……彼女には、両腕がありませんでした。 何度も繰り返される、その光景。落としてしまったバッグを、拾って自分の肩にかける、そんな「当たり前のこと」ができないというのは、こんなに大変なことなのだ…… 僕が「典子は、今」という映画で覚えているのって、実は、このシーンだけなのですよね。感動して泣いた、というよりは、ただただ、深いショックを受けて愕然としていました。
僕がこの映画のことを覚えているのは、日頃、映画にはほとんど興味が無さそうだった母親が突然「一緒に映画に行こう」と言って僕を連れていってくれたのが、「典子は、今」だったからなのです。僕の記憶では、あんなふうに母親と映画を観に行ったのって、たぶん、この作品だけでした。 この記事を読んで、僕ははじめて、「あの映画のあとに起こったこと」を知ったのです。「典子は、今」に出演後の、1ヵ月に3万通(!)の手紙をもらったこと、「見学者」が職場にまで現れて、「愛想の無さ」を責められたたこと。信じられない話なのですが、あの映画を観た人のなかには、彼女の映画出演を「売名行為」だとして非難する人までいたそうです。なんだか、本当に悲しくなってしまう話です。なんで、そんなふうにしか考えられないのだろう? そんなさまざまな彼女の心を傷つける出来事があって、結局、「のり子」が「典子」を受け入れられるのには、20年もの年月が必要だったのですよね……
【「私には障害者という自覚は全くありません。せっかく頂いた命、今を楽しく生きていきたい」】 なんだかね、「健常者」だと自分を思い込んで、「障害者」を哀れんでいるだけの人のほうが、よっぽど大きな「障害」を抱えているのではないかと感じることがあるのですよ。
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