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2006年01月21日(土) ■ |
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東野圭吾が語る、『白夜行』における「純愛」 |
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『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2006年2月号の記事「あの『白夜行』がついにドラマ化! 綾瀬はるか×東野圭吾」より。
(TVドラマ『白夜行』の主演女優である綾瀬さんと原作者である東野さんが、『白夜行』の魅力について語った対談記事の一部です)
【綾瀬:ところで、私も東野さんにうかがっていいですか?
東野:どうぞ。
綾瀬:雪穂って、その……純粋なんですか? 雪穂と亮司は純愛なんですか?
東野:ああ、それはあの二人がなぜ強いのかということとも重なっているんですよ。たとえば人間が弱いのはどういう時かというと、守るものがあれこれあって迷うときに行動が弱々しくなる。その点、雪穂と亮司が強いのは、大事なものがはっきりしているからで、二人は迷いがなくシンプルなんです。
綾瀬:ああ、そうか。迷いという濁りがないから純粋なんですね。
東野:そうとも言えます。で、純愛というのも、多くの人は純愛というのは非常にキレイなものだと思ってるでしょう。でもキレイとシンプルは全然と違うものなんですよ。
綾瀬:確かに友達と話してても、純愛と言ったら、みんな初恋のようなキレイなものを思い浮かべます。
東野:たとえば、”この人を守るためだったら自分は死ねる”というふうな言い方をするとキレイに聞こえる。でも、”この人を守るためなら他の人は死んでもいい”となると、全然違うでしょう。これがシンプル。だから純愛というのを突き詰めると、実はオソロシイものだったりするんです(笑)、それが『白夜行』の世界、『白夜行』における純愛なんです。
綾瀬:そうか……。
東野:複雑な話だと言われるんですが、原作者にとってはシンプルな話で(笑)。
綾瀬;シンプルって、ものすごく強いですね。生き方の核になるというか。
東野:自分自身でも、生き方として心がけますね。人間って守るべきものがたくさんあるとダメになりがち。自分にとって一番大事なものは何なんだと常に原点に立ち返らないと、何やってるのかわからなくなってしまう。
綾瀬:お金とか名誉とか地位とか……。
東野:そうそう。家族を幸せにしようと思って細々と仕事を始め、仕事が面白くなってがむしゃらに働いて富も名誉も手に入れたのに、気がついたらアレ!?なんでオレには家族がいないんだろうと。貯金もできた、だけど家族はネコしかいないとか。いや、僕の話じゃないですよ(笑)。
綾瀬:ハハハハハ。
東野:それは本末転倒な話で(笑)。】
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先日、『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞された東野圭吾さんなのですが、この対談、東野さんを「人間が描けていない」なんて罵倒した某選考委員にぜひ読んでいただきたいところです。 東野さんは、この対談のなかで、『白夜行』の主人公、雪穂と亮司の「純愛」は、「周囲からみてキレイ」なものではなくて、お互いにとって「絶対的」なものであり、だからこそ「シンプル」なのだと語っています。【たとえば、”この人を守るためだったら自分は死ねる”というふうな言い方をするとキレイに聞こえる。でも、”この人を守るためなら他の人は死んでもいい”となると、全然違うでしょう。これがシンプル。】というのは、「純愛」を単純に美化する人たちに対して、「そんなに甘いものじゃない」と冷水をぶっかけているかのようです。結婚式のスピーチなどで、「2人とともに、周りのみんなも幸せになるようなカップル」を目指しています、という人は多いのですが、もし、「2人が幸せになるために、誰かが不幸になるような状況」になったとしたら、普通の人は、いくら「自分たちのため」とはいえ、多少なりとも逡巡したり、自分たちを犠牲にしてしまうと思うのです。「仕事と家庭の両立」とかについてもそうで、「バランス感覚」というのは大事なのですが、その一方で、バランスというのは、「いろんなことを中途半端にして妥協する」ということでもありますし。 しかしながら、「シンプルを突き詰めた人」というのは、普通に生きている人間にとっては、ものすごく違和感があるのです。例えば特定の宗教に対してすべてを捨てて帰依している人や、休むこともなく研究ばかりしている人の「シンプルな生き方」に対して、僕はやっぱり「ついていけないなあ…」と思うんですよね。 確かに、「純愛」って、本当は、ものすごくオソロシイものなのかもしれません。
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