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2005年12月22日(木)
嘘つきな「ビーチ・ボーイズ」

「意味がなければスイングはない」(村上春樹著・文藝春秋)より。

【僕は当時、神戸の近くの海岸沿いの町に住んでいた。静かな小さな町だ。毎日夕方になると犬を連れて近くの海岸を散歩したが、その海にはたいした波は立たなかった。瀬戸内海でサーフィンをするのは、「相当に難しい」と「不可能である」の中間あたりに位置する行為だ。実物のサーフボードを僕が目にしたのは、ずっとずっとあとになってからだ。つまり僕は、サーフィンとはまるで縁のない場所に住む、サーフィン・ミュージックの熱心なファンだったわけだが、そのような地域的ハンディキャップによって、彼らの音楽の理解が阻害されるというようなことは、おそらくなかったと思う。だって――これはあとになって知ったことだが――ビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンは、南カリフォルニアに生まれたものの、海に入るのが怖くて、サーフィンなんてただの一度もやったことがなかったくらいだから。】

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 『サーフィンUSA』という大ヒット曲があるビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが、実は【サーフィンなんてただの一度もやったことがなかった】というのは、イメージからすれば、かなり意外な気がします。いや、それであんなにサーフィンの曲をたくさん作って大ヒットさせるのってどうなんだ?と。
 しかしながら、そういう「実体験」の無さというのは、必ずしも「サーフィンに関する曲を作る」という点においては、マイナス面ばかりではないのかもしれません。
 マンガ家・永井豪さんの「伝説」に、「一度『経験』してしまうと、自分のエロスが描けなくなるから、一生童貞を通している」というのがあります。実際のところはどうなのかわかりませんが、確かに、そういう「美しき幻想(あるいは妄想)」こそが、創作者にとってのモチベーションであり、重要なモチーフになっているという面は、否定できないと思います。ビーチ・ボーイズの例で言えば、本格的にサーフィンをやっている人は、「サーフィンって、そんなに明るくって楽しいことばっかりじゃないんだよ…」なんて、「現実」に引きずられてしまう場合だってあるでしょうし。僕たちにとっての「医者からみた医者ドラマ」がそうであるように。
 むしろ、人々が望むものは、「真実」よりも「幻想」の中にあることが多いのでしょうね。もちろん、その「幻想」を、みんなが納得するような形でうまく取り出すのは、誰にでもできることではないのですけど。