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2005年12月06日(火)
みんな世の中では、こんな恋愛をしている。

「増量・誰も知らない名言集」(リリー・フランキー著・幻冬舎文庫)より。

【小学校5年生の時。クラスの中で席替えをすることになった。それまでは、クジ引きとかで決めていた席替えも、その時は担任の先生の提案により、こんな方法で決めることになったのだ。
 生徒全員に小さな白い紙が配られた後、先生は言った。
「その紙に、男子は好きな女子を一番から三番まで3人。女子は男子の名前を好きな順に3人書きなさい。後で先生がそれを見て、みんなの席を決めます」
 今思えば、まるでねるとんパーティである。斬新というか残酷というか、先生の下世話なセンスによって、10歳のボクらはあまりにもエグい方法で自分の席を決められることになった。教室は静まっていた。みんな、その紙を見つめて長考に入っている。ボクも考えていた。一着二着の欄には、クラスで人気の女子ふたりを流した。人気の女子。かなりオッズもハネあがっているだろう。自分で書きながらも、この2頭は入るまいと知っていた。そこで悩むのは三番である。できるなら、ここは見したいとも思ったが、結局ちょっとだけ気になっていた女子の名を書いた。H子。人気者グループにはいるが、かなりの脇役を張っているくらいの女子だった。むしろ、ギャグにされている系統である。
 次の日、結果が発表された。やっぱり、人気ナンバーワンの女子と男子が隣同士に配置されている。このあたりが小学生。奥行きがないというか、ストレートなのである。
 そして、ボクの隣にはH子が机を並べることになった。第三希望合格。入試なら、もうココは蹴って来年に懸けたいというくらい微妙な当たり。照れながら隣で微笑むH子の顔がマトモに見れなかった。自分で選んだ道なれど、なぜか釈然としないこの想い。こんなことならいっそ、ドラフト外選手同士、行きずりな席順で、ふてくされながら暮らす方が自由という意味では幸せ。
 でも、オトナになって気付くのはみんな世の中では、こんな恋愛をしているんじゃなかろうかということだ。

(中略)

 自分の気持ちに素直になって。人はそんな無責任なことを言うだろう。しかし、すべての人が日本シリーズで出会える訳じゃない。淋しさを埋め合うためのウインター・リーグだって立派な恋愛ではある。ただ、切ない負け感はいなめない。一番好きな人と一番好きな人が付き合う。当たり前すぎて、出来る人が少ない。
 小学生のボクはH子に冷たくした。一番好きな女の子の席が気になってモヤモヤした気分が充満した。H子はそんなボクの態度を察したらしく、微笑まなくなった。
”冷え切った席順”。そんな空気の中、H子はおもむろに言った。
「わたし、リリーくんの名前書いてないんだよ……」
「え、オレ書いたよ……」
「わたしは、書いてない」ショーック!! アンド・ピエロ!! 淋しさ∞!! 太平洋ひとりぼっち!! この所在なさと切なさ。今でもあの時のことがボクのトラウマになっている。ボクはドラフト外選手だった。
 もう、こうなると人間は子供でも卑屈になる。H子を見る眼がおびえていた。”キミじゃなくてもよかった”と思っていたのに、今や”あなたに会えてよかった”に曲は変わった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これって実話なんでしょうか?こんな「席替え」なんてアリなのかよ!書いているのが、リリー・フランキーさんだからなあ…と思いつつも、リリーさんが現在40代前半であることを考えると、そのくらいの時代なら、まだ、このくらい前衛的な方法も許されたのかもしれない、という気もしなくはありません。まあ、この話がフィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、「恋愛」というものの一面が、この中に含まれているのはまちがいなさそうなのですけど。
 思い出してみると、小学校の高学年くらいで、「好きな女の子は?」という話を同級生としたときに、そんなに多くの人の名前は挙がらなかった記憶があります。せいぜい、クラスで5人といったところでしょうか。これはたぶん、女子に「好きな男の子は?」と尋ねても、同じくらいなのではないかと思います。当時の1クラスはだいたい40人くらいでしたから、30人くらいは「ドラフト外」になってしまう、ということになります。
 しかしながら、実際にオトナになって結婚する人の割合は、これらの「ドラフトで指名される人」よりかなり高くなっています。これは、世界が広がって、自分に合った人が見つかるとか、大人になると好みが多様化するとかいうのももちろんなのでしょうが、その一方で、やはり、「妥協」している面があるのも間違いありません。少なくとも「自分にとって世界でナンバーワン間違いなし!」と言い切れる相手と付き合えるような幸福かつ幸運な人は、ものすごく稀有な気がします。付き合っていくうちに深まる愛情というのが、当然あるのだとしても。【一番好きな人と一番好きな人が付き合う。当たり前すぎて、出来る人が少ない。】とリリーさんは書かれていますが、確かに、そうなのでしょう。そんななかで、人は、自分なりのパートナーを見つけて生きてくわけです。そう考えてみれば、「中途半端な恋愛結婚」よりも、いっそのこと「親が決めた許婚」のほうが、はるかに諦めがつきやすかったりする可能性もありそうです。どちらがいいかは、その人次第でしょうけど、「それでもなんとかやっていける」のも人間なのです。
 「恋愛に妥協してはいけない」のか、それとも「妥協しなければ、恋愛なんてできない」のか?
 でも、みんなが「本当に素直に」なったら、たぶん、世界の人口は、激減していくでしょうね……