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2005年11月28日(月) ■ |
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亜也さんを傷つけた、寮母さんのことば。 |
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「1リットルの涙」(木藤亜也著・幻冬舎文庫)より。
【できるだけ、”歩こう”の精神で、車椅子は外へ出るときしか乗らないようにしてきたが、急ぐ時、遠い図書館に行く時は、車椅子を使って、時間をつくり出そう。 車椅子で登校しよう(本当は、車椅子に乗ると、「もうだめだ、わたしは歩けない」と思ってしまうことのほうが悲しい)。 寮母さんと廊下で会う。 「おはよう」 「おや、車椅子で行くの? ラクチンでいいわね。亜也ちゃん!」 胸がつまって息ができなくなるくらい悔しかった。何がラクチンだ! 歩きたいのに、歩けなくなったと苦しんで、苦しみぬこうとしているのに、好きで車椅子に乗るとでも思っとるんですか! 楽したいから車椅子に乗るとでも思っとるんですか! 頭をかきむしりたい気持ちになる。 わたしの病状が一歩後退したのか、母の白髪が目立ってきた。】
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現在、沢尻エリカさん主演でテレビドラマ化もされている、「1リットルの涙」の一部です。 これを書いている木藤亜也さんは、脊髄小脳変性症という不治の病と闘い続けた女の子です。この文章は、彼女が16歳のときに書かれたもので、次第に歩くのが不自由になってきて、転んでしまったり、移動に時間がかかって学校・寮での生活についていけなくなってきたため、やむをえず車椅子を使うようになったときの出来事が書かれています。 僕はこの文章を最初に読んだとき、「なんてデリカシーのない寮母さんなんだ!」と憤りました。だって、あまり障害を持つ人と接することのない「健常人」ならともかく、養護学校の寮の寮母さんなのですから、そういう配慮は、あって当然なのではないか、と思ったから。 でも、何度か読み返していくうちに、たぶん、この寮母さんには、全然「悪意」はなかったのだろうな、ということがわかってきたのです。寮母さんは、ずっと何度も転びながら歩いていた亜也さんを見て心配していたのだけれど、車椅子で転ぶ不安もなく移動している姿を見て、単純にホッとしたのではないか、と。 もちろんこの言葉は、実際には亜也さんを酷く傷つけてしまっていますし、そういう言い方はすべきではなかった、と僕も思います。 しかしながら、「じゃあ、寮母さんはどう言えばよかったのだろう?」と考えると、僕にはなかなか、良い答えが出せないのです。
「車椅子になんか乗ってないで歩きなさい」 「車椅子に乗らなければならないなんて残念ね」
やっぱり、どちらにしても、違和感があります。 黙って見守るしか、なかったのかもしれません。
たぶん、僕たちだって、この寮母さんと同じように、自覚のないままに、毎日誰かを傷つけているのです。そんなふうに考えると、口を開くことすら怖くなってしまうのですけれども。 何を言っても誰かを傷つけてしまうのに、何かを言わずにいられない。 そんな状況が、世の中には溢れています。 ことばで誰かを傷つけるというのはこんなに簡単なのに、ことばで誰かを救うというのは、なんて難しいことなのだろう……
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