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2005年11月21日(月) ■ |
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押井守監督の「アニメの真相」 |
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「週刊アスキー・2005.11.22号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。
(「うる星やつら」「機動警察パトレイバー」「イノセンス」などの作品があり、いまや日本を代表する映画監督のひとり、押井守さんのインタビュー記事の一部です。)
【進藤:監督は、観た方からどんなことを言われると、いちばんうれしいですか。
押井:やっぱり、自分が全然想像もしていなかった見方をされると、うれしいですね。「えっ?」ということ、ありますから。とくに僕の作品を好きだっていう30代、40代の男どもはですね、根がまじめな人が多くて、一生懸命考えるんですよ。
進藤:作品に秘められた意味を?
押井:僕の仕掛けた罠をなんとか突破して、真実にたどり着こうとする。そのために何度も観てくれたり、DVDを買ってくれたりするから、ありがたいんだけど(笑)。なぜか彼らには、アニメにはなにか真相が隠されているんじゃないかと思い込んでいるフシがあるんですね。
進藤:ふむふむ。
押井:でも、そんなものはない。
進藤:そんなキッパリ(笑)。
押井:いや、あるんだろうけど、つくった人間でもよくわからないもので、何年かたたないとわからない。そう言うと今度は「煙に巻いてる」とか言われるんだけど(笑)。
進藤:ホントに、ホントに押井さんもわからないんですか?(笑)
押井:基本的には、いい思い、楽しい思いをしたいからつくるんであって、なかば無意識でつくっているんですよ。しかも、そういうときのほうが絶好調だったりするからね。】
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「そんなものはない」と言われると、「『そんなものはない』なんてことはないはずだ!」とか、つい考えてしまいます。このインタビューそのものも、なんだか読んでいる僕たちが煙に巻かれているような気がしますし。 「それは、受け手の考えすぎ」だと、押井さんは笑うのかもしれませんけど。 でも、あの「イノセンス」のような、いかにも「意味ありげ」な作品を、「真相なんてない」と言われても、やっぱり、いまひとつ納得できないですよね。そこに「隠された意味」みたいなのを探して、「解釈」しようとする気持ち、「僕の作品を好きだっていう30代、40代の男ども」の一員として、非常によくわかります。 本当は、「正しい答え」よりも、その答えを探すプロセスや、それを同好の士と話し合ったりすることのほうが、はるかに大事なのかな、とも思うのですが。 おそらく、「想像もしていなかった見方をされること」に対して、「うれしい」というのは、押井監督自身も、「結論」というより「素材」を提供することによって、受け手と一緒になって楽しんでいる面もあるのでしょう。「何年たたないとわからない」というのは、結局、押井監督自身も、そういう自分の作品の「受け手」の1人なのかもしれませんね。
それにしても、受け手というのは、確かに、作品というのをあまりに「解釈しようとしすぎ」なのではないかなあ、と僕も感じることはあるのです。映画監督というのは、「意味のないことに意味がある」という場合を除けば、意味のないシーンというのを作品に入れることはほとんどないのでしょうが、だからといって、すべての作品、すべてのシーンに、あらかじめ「重要な真相」が隠されているわけでもないはずです。 ほんと、アニメに対するのと同じくらい、人生とか現実とか言うものに対して、「真相」を追い求めていれば、もっと違った生き方ができるのかもしれないのに。 まあ、「無意識」のときのほうが絶好調というのは、現実でもそうなのかな、という気はするんですけどね。
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