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2005年11月20日(日)
結果が出ないことを「年のせい」にしてはいけない

「Number.641」(文藝春秋)の記事「200勝への階段。〜桑田真澄、21年目の現実」より(文・石田雄太)。

【たった一個だけ、桑田真澄が大切に持っているサインボールがある。メジャー通算318勝の”精密機械”、今シーズンも13勝をマークしながら15勝以上の連続記録が17年でストップした、シカゴ・カブスのグレッグ・マダックスのサインボールである。珍しく桑田から頼んで手に入れたそのボールには、”TO MASUMI、BEST WISHES!”と書き添えられている。
「どうしてもマダックスが現役で投げている間に欲しかったんですよ。ほら、第一感って、あるでしょ。あれはハタチの頃だったかなぁ。テレビでマダックスのガッツあるピッチングスタイルを見て、この人は僕と同じ野球観の持ち主なんじゃないかって、そう思ったんですよね」
 39歳になったマダックスは、6月の時点でまだ1勝もしていなかったトウキョウ・ジャイアンツのベテランピッチャーに対し、メッセージを託した。結果が出ないことを年齢のせいにしてはいけない、結果が出ないことには必ず技術的な理由があり、そこを乗り越えられないのは年齢が理由ではないはずだ、と―。
「あれほどのピッチャーだと、言うことも違うよね」
 桑田は、嬉しそうにサインボールを眺めていた。

(中略)

 マダックスの言葉を借りれば、37歳だから0勝だったのではない。思うようなボールが狙ったところにいかなかったから、0勝だったのだ。ということは、逆に考えれば38歳になっても、思うようなボールを狙ったところに投げることはできるはずだ。そう信じて、桑田はそのためのトレーニングも始めている。篭もってきた山を下りた職人は、0を1にするために、そして1をやがて28にするために、あえて反対側から山を登ろうとしている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、このグレッグ・マダックス投手のメッセージ、桑田投手のみならず、最近ことあるごとに「年なのかな…」とつい自分に向かって呟いてしまう僕にも、ものすごく響いてきました。
 もちろん、人間というのは、年齢とともに衰えてくる基礎的な能力というのはあると思うのです。筋力とか、持久力とか、記憶力とかに関しては、やっぱり、「高校生の頃に比べたら…」と実感することは、たくさんあります。でも、僕たちは、実際の「年齢的な衰え」以上に、いろんなことを「年のせい」にしてしまって思考停止している部分があるではないでしょうか。
 例えば、年だから体重が増えたとか、年だから記憶力が悪くなった、という人は、たくさんいるはずです。本当は「年だから(と自分に言い訳をして、運動しなくなったわりに、食べる量は変わらないから)体重が増えた」とか「年だから(と自分に言い訳をして、覚えるための勉強をやめてしまっているから)記憶力が悪くなった」はずなのに、その間の「自分でそれを防ぐ、あるいは向上するための努力をしなかった」ことを意識するのがイヤだから、「年だから」という理由で自分を納得させてしまっているのです。
 確かに、いくら努力しても追いつけないような、肉体的な衰えというのはあると思います。20歳と80歳の差が「努力の差」だけだなんて、僕だって思いませんし。でも、少なくとも30歳と35歳の間の基礎的な能力の差なんて、トップアスリートならともかく、普通の生活をしている人のレベルでは、そんなに大きなものではないはずです。それはたぶん「どこが足りないのか」「どこが衰えているのか」を自覚してトレーニングすれば、埋められるくらいのものではないでしょうか。少なくとも「年齢のせい」だけにして、その「衰え」を克服することを諦めてしまうのは、ちょっともったいのかな、と。

 「年齢」っていうのは、多くの人にとって、これ以上のものはない「説得力」を持っているのも事実だし、高齢の患者さんの慢性疾患に対して、「まあ、年ですからね…」というのは、患者さん自身も医療者も救っているという事実もあるのですけれど。

 追記:今日の高橋尚子選手の復活優勝を観ていて、「もう33歳だし」「2年ぶりだし」「怪我もしているみたいだし」と「これが引退レースかな…」と思っていた自分が恥ずかしくなりました。
 まだまだ、僕にもできるよね。