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2005年11月08日(火) ■ |
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ビラを受け取ってくれない人 |
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「しをんのしおり」(三浦しをん著・新潮文庫)より。
【一つの法則を発見した。 ヴィトンのバッグを持っている女性は、街で配っているビラと決して受け取らない。いや、「古本屋のビラ」と限定したほうがいいのかもしれないが、とにかく彼女たちは絶対に手を出してこない。ここ二ヵ月ほどビラ配りをした結果の、法則発見である。 「古本屋でーす。安売りしてまーす」と言って、道行く人にビラを配るわけだが、一番もらってくれるのはオバサンだ。「安売り」という言葉に敏感に反応する彼女たちの姿を見ると、なんだかこちらが照れちゃうような、安心するような、そんな気持ちになる。 反対に、もらってくれないのはアベック(死語)。その理由は、1、手をつないでいる。2、自分たちの世界に夢中。の二点にあるのではないかと推測する。しかし、そんなラブラブアベックをも上回り、「ビラをもらってくれない度」堂々ナンバーワンに輝くのが、ヴィトンのバッグを持った人なのだ。街にはこれほどヴィトンのバッグを持っている女性が大勢いるというのに、この二ヶ月間でビラをもらってくれたヴィトン保持者は、なんと一人もいない。 ヴィトンじゃないバッグを持っている時には、ビラを受け取ることもあるのかな。それとも、ヴィトンを買うという選択をした時点で、「もう私は一生ビラは受け取らない」という決意が芽生えるのだろうか。たとえば中田(サッカー)は、ビラを受け取ってくれるかしら。】
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うーん、中田選手は、あんまりビラとか、受け取ってくれなさそうな気がします。もちろん僕の勝手な想像ですが。芸能人でいうと、小池栄子とかは、ビラ配りの人を睨みつけたりしそうな感じ、安達祐美なら無視しそう。山口もえなら貰ってくれそうな気もするなあ。もちろんこれも、僕の想像なんですけど。 僕はこのビラ配りの人というのがものすごく苦手で、この「眼の前にビラを差し出されるシーン」を想像するだけで、都会の繁華街に出ることをためらってしまうのです。あれは、僕みたいに気が弱くて、ええ格好しいの人間にとっては、ものすごく心臓に悪い。 眼の前に差し出されたビラを周りの人が無視しているにもかかわらず、自分だけ受け取ってしまうと、なんだかとても自分が「気が弱く、ビラすら拒絶できない、悪質リフォームにもすぐ引っかかってしまいそうな人」であることがバレバレになってしまいそうな不安を感じる一方で、ちょっと可愛い女の子が寒空の下、けなげに(思い込み)誰ももらってくれないビラを配っているような状況に遭遇すると、まるで「マッチ売りの少女」に遭遇してしまったかのように、「ここは、僕が貰ってあげなくてはっ!」とか、つい考えてしまうこともあります。でも、実際のところ、ビラの多くは貰っても邪魔になるだけなんですよね。そもそも、僕にとって役に立ってくれるようなビラなんて、30年以上も生きていて、見たことがない。 隣に女の子がいる状態(しをんさんが仰るところの「アベック状態」ですね)だと、ヘタにそんなビラを貰ってしまうと、「この人は、ああいうビラ配りすら断れない、心の弱い男なのか…」と値踏みされてしまうような気がして、あるいは「あの女の子に色目使ってるんじゃないの?」と誤解されるのではないかという危険も感じて、毅然として、そのビラを断ろうとするわけです。いや、気合を入れて貰わないようにしているというのは、それはそれで気疲れするし、傍からみたら「そんなに緊張しなくてもいいじゃない」という話になったりもするんですけどね、やれやれ。 バカじゃない?配るほうは、あんたのことなんか、いちいち気にしてないよ!そう、すべては自意識過剰のなせるわざ、なのですよ。でも、ああいうのって、自分が通ったときだけ目の前に差し出されないと、それはそれで、なんだか悔しかったりしますよね。女性用エステのチラシであることを横目で確認して、ちょっと安心しているなんて、もうほんと、自分でもどうしようもないと思うのだけどさ。
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