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2005年10月28日(金)
観てもらえない「クライマックス」

「水族館の通になる」(中村元著・祥伝社新書)より。

【初めて訪れる水族館では、あるいは水族館が好きな人ほど、途中で時間がなくなって、一番楽しみにしているコーナーをじっくり見ることができなくなってしまう。残念なことに、水族館の最後のクライマックス展示コーナーを、足早に駆け抜けてしまう人はかなり多いのだ。
 大きな理由は、水族館のアリの巣のように曲がりくねった通路に入ってしまうと、建物のどこにいるかが分からなくなり、距離感や時間間隔を失ってしまうからだが、それに輪をかけて、水族館を作った人の意図と、観覧者の気持ちに大きなズレがあることを知っておくといい。
 水族館を作った人たちのほとんどが考える水族館の構成はこうだ。「最初のコーナーは序章、そこからコーナーを進むごとに驚きや面白みを強くしていき、一番のクライマックスは最後に持ってくる。そうすればもっとも満足度が高くなるはず」と。
 ところが、客の立場になって考えれば、水族館にやってくるまでの長い道のりと時間のことがあって、それがすでに序章なのだ。一番最初に見るコーナーなり水槽なりは、すでにクライマックス。空腹時の肉まんと同じで、どれほどショボくてもおいしいのだ。
 しかもその直前に払った決して安くない入場料のことが頭に残っているから、しっかりもとを取らなくてはならないと思う。子どもが、ペンギンだイルカだとお目当てに急ごうとすると、「しっかり見なさい!(もったいないから)」と、叱っているお母さんをよく見かけるだろう。
 つまり、水族館側と観覧者の見学時間の想定が、まったく逆転してしまっている。だから、入り口付近は、どの水族館でも一番混み合う場所になっている。
 これを解消するには、ひとつには、まず館内マップで、館内のことをしっかり把握すること。実際、水族館に入ったとたん、水槽でなくマップを見るのは、だれもが時間が惜しいように感じるのだが、そこを曲げてマップをじっくり見ていただきたい。
 さらに、心と時間に余裕があるなら、まず最後までざっと見て、それから気になるところに戻る、という方法をとると、時間配分が楽になるだけでなく、見落としも少なくなる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これは水族館に限ったことではなくて、美術館とか動物園でもそうですよね。確かに、入り口からすぐのアトラクションは、けっこう混みあっていることが多いのです。「どうしてこんな珍しくもなさそうな展示に、こんな人だかりが…」と思いつつも、せっかく来たのだから、水槽ひとつたりともおろそかにしたくないのもないですし。
 でも、そういう情熱というのは、半分くらい観ていくうちに次第に薄れてきて、途中からは「めんどくさいから、とりあえずザッと流す」という感じになりがちです。
 この文章を読んでいると、水族館の「創り手」と「観覧者」の感覚のズレというのが、よくわかります。現実にはありえないことですが、僕がもし水族館の設計をするとしたら、やっぱり「最初にちょっとした見せ場を作っておいて、少しずつ盛り上げていって、最後にクライマックスを…」というような創り方をすると思います。それが、いちばん「ドラマ性を高める演出」だという意識があるから。その一方で、観る側は、そのクライマックスにたどり着いた時点では、もう熱が醒めかけてしまっているのです。「もう足が疲れた」とか「時間が無い」とか。そして、肝心のクライマックスは、あまり熱心に観てはもらえない。
 考えてみれば、こういうのって、文章を書く場合にも言えることで、書き手のほうは、「最初は導入部だから抑え目の調子で、後半に読ませるクライマックスを…」と意図していることが多いのですが、読み手の側は、「後半になったら面白くなるだろうから、前半は面白くなくても我慢して読む」という人は少数派でしょう。既知で「信頼している」作家の作品(あるいは、自分でお金を出して買った作品)でなければ、「少し読んでみて面白くなければ、投げ出してしまう」のが自然なのです。
 創る側としては、そういう「受け手の感覚」を意識することが、非常に大事なのでしょうし、いくらクライマックスが素晴らしくても、そこまで受け手の興味を持続させて、読んでもらうことができなければ意味がありません。いきなりイルカや巨大ザメなどの「見せ場」を登場させなければならないこともありそうです。
 小説などの場合は、「最初に全部流し読みして、面白そうなところに戻る」ってわけには、いかないだろうしねえ。