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2005年10月27日(木) ■ |
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『ゴルゴ13』最終回の謎 |
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「日経エンタテインメント!2005.11月号」(日経BP社)の飯島愛さんの対談連載「お友だちになりたい!」第43回より。ゲストは、マンガ家のさいとう・たかをさん。
【飯島:『ゴルゴ13』の連載はまだまだ続いていますよね。最終回は金庫に入っているというウワサですが、この金庫ですか?
さいとう:金庫になんか入ってないですよ(笑)。
飯島:そうなんですか? ゴルゴさんは先生よりも1歳上という設定だったんですよね。
さいとう:最初の設定だと僕よりも1歳上だから、今だとちょうど70歳ですね。
飯島:何年くらいマンガを描かれているんですか。
さいとう:ちょうど50年ですね。『ゴルゴ13』は描き出して37年。当初は10話くらいしか描けないと思って、それで終わるつもりで考えたんですよ。そのときから最終回はそのままです。最後を考えてあるから、連載してもその間にアイデアをはさんでいるだけです。 これだけ長くやっていると、よく聞かれるんですよね。ゴルゴは、要するに私の分身みたいなものかと。でも、私にとっては、ものすごく言うことを聞いてくれる役者と監督の関係ですね。
飯島:すごく客観的ですね。ずっとネタが続くのはすごいですね。
さいとう:ドラマをつくるのは、つめ将棋みたいなものですよ。でも、東西の壁がなくなったときに、「これで『ゴルゴ』のネタはおしまいだ」なんてよく言われました。だけど私は逆に、冷戦後にこそ人種問題やエネルギー問題が噴き上がって、世界は煮えた鍋みたいな状態になっていくと言ったんです。案の定、そうなりましたね。】
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結局、この対談でのさいとう・たかをさんのコメントからは、『ゴルゴ13』の最終回の「構想が完成している」ことはわかるのですが、その「完成原稿」が、今の時点で存在するのかどうかは不明です。この対談のなかで、さいとうさんは【『ゴルゴ13』は、37年間一度も原稿を落としたことがないのが自慢】と話されているくらいですから、万が一のときのために、「準備」してある可能性は、十分ありそうな気もしますけど。 それにしても、連載37年間というのは、本当に凄いですよね。ここまで来ると、よほどの『ゴルゴ13』フリーク以外は、同じ話を使いまわされても、全然気がつかないかもしれません。でも、マンネリと言われながらも37年続いているということは、やはり、根強いファンが多いのだよなあ。
マンガの世界には、「完結」した作品と、作者の都合(急病や死など)や雑誌の休刊などで、「未完」に終わった作品があります。小説などでもそうなのですが、僕の場合、やっぱり「未完」の作品に対しては、中途半端な作品という印象はあるのです。「どうせ途中で終わりなんだから、読んでもしょうがない」というような。もちろん「プロセスを楽しむ」ということもできるのですが、一般的に「名作」と言われる作品には「未完」のものはほとんどないわけですし。 いくら名作でも「ドラゴンボール」や「あしたのジョー」に「終わり」がなければ、なんだか消化不良な作品として扱われてしまうに違いありません。 その一方で、『ドラえもん』は、ネットでもさまざまな「最終回」が予想されていたりしたものの、結局、藤子不二雄Fさんによる「公式の最終回」が描かれることはありませんでした。ただ、そのことに関しては、僕は「最終回がなくてよかったなあ」と考えてみたりもするんですよね。 大河マンガ「ガラスの仮面」は、やっぱり「最終回」がないと、サマにならない作品だと思います。それとは逆に「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は、「最終回」がないまま、なんらかの原因で「終幕」となってしまっても、それなりに許されますよね、たぶん。「美味しんぼ」あたりとなると、まあ微妙なところというか、とりあえずちょっと消化不良だけど、まあいいか、という感じでしょうか。 『ゴルゴ13』に最終回は必要なのか?というのは、けっこう難しい問題です。連載当初は、それなりの「答え」を期待していた読者も、今となっては、「どうでもいい」と考えていそうな気がします。むしろ、「終わらない作品」として、ゴルゴの出生の秘密や正体は謎のままのほうがいいのかもしれません。 37年分の「期待感」を超えるような「最終回」なんて、ありえないような気がするので。 あんまり「最終回」がつまらないと、なんだか、作品全体が「どうせ最後は○○なんだし」というような目でみられてしまうものなあ……
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