初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2005年10月18日(火)
水族館で死んだ魚は、食べちゃうの?

「水族館の通になる」(中村元著・祥伝社新書)より。

【ボクがかつて働いていた水族館は経営母体が水産問屋だから、オープンして間もないころは、出荷用の魚が水槽に入れられていたのだそうだ。大漁のときには、水槽内はラッシュアワーのようにタイが泳ぎ、出荷したとたんに、売り物にならないような魚が、わずかに泳いでいるばかりだったらしい。食う食わないというよりも、食うための魚を展示していたのだから分かりやすい。
 しかし、そんな逸話のある水族館でも、近代の飼育係は水槽の魚を食べるなんて気持ちにはならないらしい。その理由のひとつには、病気予防のための抗生物質を大量に摂取しているのだから、それが理由のすべてではないだろう。もうひとつの理由には、何が原因で死んだのか分からないものを食べるのは気持ち悪い。そんなもの食えるか!ということらしい。
 でも一番の理由は、飼育係にとって、飼育した魚と、飼育していない魚は、外見は同じでも中身がちがうからのようだ。つまり、ペットを食べる人はいないのと同じような理屈だ。
 ある飼育係は、魚を手に入れた瞬間にその理屈のとおりになる人だった。漁師さんに近海魚の買い付けに行く。すると漁師さんが余分に、「これ晩飯のおかずにあげるよ」と、飼育用に買ったのとは別に、立派なカレイをくれたりするのだ。それは、まだ生きていて、ほかの飼育用魚類と一緒に生け簀に入れて持って帰る。僕の目には、飼育用のカレイと晩飯用のカレイ、どちらも変わるところはまるでないのだが、彼は水族館に着いたところで、晩飯用のカレイを見つけ出し、躊躇なくしめた。
 ところが、飼育用として買ってきた魚は、水族館に到着したところで息絶え絶えになっていても、なんとか生かそうとする。そして死んだら、もう食べる気になんかなれないという。
 彼にとって、飼育する魚として手に入れたらその時点で、大切な飼育動物として感情移入までしてしまう。しかし食うものとして手に入れたものは、同じ魚でもうまそうな食材として目に映るのだ。
 しかしまあ、そのあたりの判断は、それぞれの水族館の文化があって、微妙にちがうのだろう。同じ水族館の別の飼育係は、飼育用の魚であっても、水槽に移すまでに死んでしまえば、それも食うものとして扱っていた。彼は水槽に入れたら飼育動物としての扱いが始まるのだそうだ。ボクもその判別の仕方で、輸送で弱った魚をずいぶん食べた。
 なんの後ろめたさもなくおいしくいただくことができたのは、きっと魚は食べるものであるという気持ちが強いのだろう。
 でも、そんなボクであっても、やっぱり水槽に泳いでいる魚を食べる気にはなれない。理由などないのだが、おそらく飼育係としての自覚のせいだったのだろう。】

〜〜〜〜〜〜〜

 水族館に行くと、「美味しそう!」という声が聞こえてくることがあります。僕はどちらかというと、そういう発言に対して「生きている魚の前でそう言うのは失礼(?)だろう…」とか思ってしまうのですが、中村さんは、【多くの水族館は、国や県の養殖研究所や、海洋資源を研究する大学などの機関が運営し、経営者が海産問屋という水族館もあるのだから、むしろ「おいしそう」というのが礼儀ではないか】と書かれています。言われてみれば、それも確かにその通りです。日本人が「水産物」にこれほど親しんでいるからこそ、こんなに水族館がたくさんあるのでしょうし。
 ちなみに、海外の水族館でのリアクションは「ビューティフル!」とか「プリティー!」が一般的で、外国の人たちが、日本人の「美味しそう!」を聞くと驚くのだそうです。
 
 それはさておき、この「水族館で死んだ魚はどうなるのか?」という話、確かに僕も疑問でした。いわゆる「高級魚」だっていますしね。
 この中村さんが書かれていたものを読むと、「死因がわからないとなんとなく気持ち悪いし、やっぱり思い入れがあるから、基本的には食べない」ということみたいです。
 その一方で、「自分が飼育している魚」以外の魚に関しては、みんなけっこうクールというか、割り切っているのだなあ、とも感じます。水族館の飼育係になるような「魚好き」であれば、「魚を食べるなんて、とんでもない!」という「魚類愛」のカタマリみたいな人ばかりかと予想していたのですが、実際はそうとも限らない。もっとも、大型魚のエサとして、アジやサバ、金魚などの魚が日常的に与えられているのですから、「かわいいお魚さんの命を奪うなんて!」というくらいの「優しすぎる人」には、飼育係というのは勤まらないのでしょうけど。
 それにしても、「同じカレイ」を見分ける眼があるなんて凄いですよね。僕だったら、一度眼を放したら、体に目立つ傷があるとか、よっぽど特徴がないかぎり、どれが「晩飯用」なのかわからないと思います。

 飼育係という仕事には、「自分が担当している魚への愛情」と「自然の摂理への割り切り」が必要なようです。
 よく言われる「美味しく食べてあげるのが供養」というのは、魚自身にとってはどうなのか、僕には想像もつかないんですけどね。