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2005年10月16日(日)
韓国路線バスの過激な人々

「ありがとう。」(鷺沢萠著・角川文庫)より。

(鷺沢さんが韓国留学中のことを思い出して。ちなみに、鷺沢さんが韓国のソウルに留学されていたのは、1993年の1月から6月までの半年間。)

【渡韓してまだ間もないころ、通学途中の幹線道路で私は物凄いものを目撃した。
 蛇足ながら付け加えるが、この「渡韓間もないころ」というのが重要なポイントで、もうちょっとあとだったらそんなことぐらいでは私も驚かなかっただろうし、特別「物凄いもの」とも思わなかっただろう。
 通学途中というくらいだから、朝のラッシュ時である。まあ東京もそうだが、ソウルの出退勤時刻の道路の混みようといったら「歩いたほうが早いかも……」と思うくらいである。そんな大渋滞の朝、幹線道路と幹線道路が交わる立体交差点のとことにあるガソリンスタンドで、私はそれを見た。
 バス(ふつうの路線バスである)が、満員に近い状態で客をたんまり乗せたまま、ガソリンスタンドで給油をしていた。別のバスの窓からそれを見た私は息を呑んだが、問題のバスに乗っている客はみな、特に不満げな顔をするでもなくただ朝の渋滞に対してのみ苛立ちを表明する顔をそれそれ見せながら、給油が終わるのを待っていた。
 学校に着いた私はクラスメイトの女の子に早速そのことを報告した。
「ねえねえ、あたし今朝スゴいもの見ちゃった」
 私は勢いこんでそう話し出したのだが、話を聞き終えた彼女はパッパッツと手を振って言った。
「そんなの日常茶飯事。あたしが見たもっとスゴいものを教えてあげよう」
 バスがとんでもないところに停車していたのだという。一応路肩に寄せてはあったが、韓国の路線バスはなにせ大きい。日本の観光バスを想像してもらうと判りやすいかも知れない。それで、そのバスの停車のせいで付近一帯に渋滞と呼んでも差し支えないほどの混乱が起きていたという。ちなみに、そのときもやはり、バスの中に乗客はたんまりと乗っていた。
 どうしてこんなところに停まっているんだろう……。怪訝に思った彼女はふとバスの中を覗きこんでみた。すると、運転席にあるべき運転手の姿がない。こんなところにバスを停めてお客さんを放ったらかしにして、いったい運転手は何をやっているんだ、と思い、あたりをぐるっと見まわした彼女が発見したのは、近くの電話ボックスで楽しげに誰かと語りあっている運転手の姿だった。

(中略。上記のような話をしていた鷺沢さんと女友達に、「もっとスゴい話」として、男友達が直接の体験談として語った内容です。)

 さて、夜のバスの事件である。乗客のひとりが、運転手に向かって「もっと安全運転しろ」というような野次を飛ばした。安全運転って、今さら……、とそのバスの運転手が思ったかどうかは定かでないが、まあそう思われても仕方のない野次ではある。おそらくその乗客も酔っぱらっていたのだろうと推察する。
 しかし、そんな野次を飛ばされた運転手が黙ったままでいるわけはない。彼はバスをいったん停めて、立ち上がって言った。
「今、野次を飛ばした奴、ここに出てこい!」
 運転手にそう言われて出てきた野次の乗客は、明らかに運転手の1.5倍は体重のありそうな巨漢であった。運転手はむうッと押し黙った。これはケンカになっても勝てそうにないと思ったのだろう。
 次に運転手が取った行動がスゴい。彼はいちばん後方の横一列に並んでいる座席のところまで行ってそこに腰をおろし、腕を組んでふんぞり返ってのたまったそうな。
「もう俺は気分悪くなっちゃったから運転しないッ!」
 仕方ない、乗客たちはぞろぞろとそのバスを降り、次のバスを待ったそうである。】

〜〜〜〜〜〜〜

 韓国のバスに関するエピソードあれこれ。
 ちなみに、鷺沢さんによりと【ソウルの運転手は、おしなべて運転が乱暴】で、【他の車との間隔わずか5センチですり抜けていく】そうです。
 まあ、ここで書かれている鷺沢さんの「体験」は、今から10年以上も前のことですから、現在の韓国でも同じような状況なのかはわかりませんが、少なくとも日本のバスでは、10年前もこういうことは「日常的」にはなかったと思います。何年か前、日本で「生意気な子どもを無理やり終点まで連れて行った」なんていう話があって、そのことはメディアでかなり大きく取り上げられたのですけど、これを読むと、同じことが韓国で起こったとしても、そんなに大きな「事件」としては扱われないのではないような気がします。
 こういう話を読んでいると、日本人の「公共心」というのは、必ずしも「世界標準」だとは限らないのだ、ということがよくわかります。日本では、タクシーで運転手とお客のケンカで「降りろ!」という話になったという話は時々耳にしますが、多くのお客さんが乗っているバスを運転している運転手が、ひとりのガラの悪い酔っ払いとのいざこざで、バスの運転そのものを放棄する、なんてことは、ちょっと考えにくいですよね。
 そもそも、そんな状況になってしまえば、他のお客は、「仕方ない、とぞろぞろとバスを降りる」なんてことはなくて、車内は「おとなげない運転手」への非難、あるいは、運転手をなだめる声で満たされることでしょう。この韓国のバスでのできごとは、ある意味、そういう「公共交通機関」の運転手の「個人の事情やプライド」のようなものに、周りの人々も配慮している(あるいは、諦めている)、ということをあらわしているんですよね。
 そういえば、僕は4、5年前に韓国の釜山に行ったことがあるのですが、日本に帰る日に船に遅れそうになったとき、「これは、映画『TAXI』か?」と思うほどの荒い運転のタクシーに乗ったのです。そのときはもう、あまりの怖さと車酔いに「船には遅れてもいいから、もう降ろしてくれ…」という感じでした。もちろん、遅れないようにという配慮はあったのでしょうけれど、普段からゆっくり運転してばかりでは、たぶん、突然ああいうアクロバティックな運転って、できないだろうなあと思います。
 どっちがいいとか悪いというのは一概には言えないのでしょうけど、韓国というのは、「日本人には理解困難な過激さ」を持った国なのかなあ、と考えてしまいました。