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2005年10月10日(月) ■ |
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ある「起業家」が、アルバイト経験から学んだこと |
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「週刊SPA! 2005.10/4号」(扶桑社)の対談記事「おちまさとプロデュース〜『社長の腹』」より。おちまさとさんと四宮玄介社長(株式会社エグゼコミュニケーションズ)の対談の一部です。
【おち:そもそも社長が起業しようと思ったのはいつなんですか?
四宮:高校時代の2つのアルバイト経験が大きかったですね。そこで、よい経験と悪い経験をしまして。まずよいほうですが、地元の鳥取砂丘にある土産物店で働いたとき、上司から「とにかく駐車場を満杯にしろ」というむちゃな命令を受けたんです。でも、どうやったらできるだろうかと考えていたら、実に楽しくて(笑)。それで、店は砂丘の入り口付近に位置していたので、「この先、満車」という看板を持って立ったんですよ。
おち:店はその先にもあるのに? 社長、なかなかズルいこと考えつきますね〜(笑)。
四宮:それでめでたく駐車場を満杯にすることができて、3倍の給料をもらえたんですよ。そのとき「認めてくれる人」と「やるネタ」と、それを「やらせてくれる環境」が整っていればビジネスはできるんだ、と思ったんです。で。悪いほうも経験は、ファミレスで働いていたとき、料理を出すのを後回しにしてでも席を埋めることを優先した店長とケンカになりまして。私は「店に入れておいて長い時間席で待たせるよりは外で待たせたほうがいい」と主張したんですが、まるで話にならず。最後は「隣の空き地に同じ店をつくったら、俺のほうが絶対勝つ」と言ってクビになりました(笑)。それが17歳のときです。
おち:やはり若いうちから起業家の素質があったんですね。
四宮:いや、単に理不尽なことに耐えられないんですよ。「これなら自分で起業するほうがいい」と決めたのはそのときですね。
おち:で、大学に入学して……。
四宮:すぐにでも起業しようと、入学式当日に秋葉原にFAXを買いに行きました(笑)。大学で勉強するつもりはまったくなかったので、トータルで40日くらいしか通ってないですね。
おち:そのときがまだ18歳。】
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四宮玄介社長は、このあと、「熱帯魚の水槽をホテルや病院にレンタルする会社」を立ち上げ、大学3年の終わりに自主退学、現在は「データベースを利用した、個人情報の貸金庫ビジネス」をなさっているそうです。2005年3月期の年商14億3000万円。 この話を読んで僕が思ったのは、やはり「起業」するような人というのは、若い頃からタダモノではないのだなあ、ということでした。いや、 土産物屋の駐車場を満杯にするために、『この先、満車』の看板を持って立つなんてことは、正直、そんなに難しい「発想」ではないような気がするんですよ。でも、その「発想力」とそれを実際にやってしまう「行動力」を併せ持つというのは、なかなか難しいのだと思います。この場合、それを褒めて、給料3倍にしてくれた上司の「理解」というのも大事なんでしょうけどね。 それにしても、そんなことをやって、周りの土産物店と揉め事にならなかったのでしょうか? 「悪いほうの経験」というのに対しては、「外で待たせたほうが本当に良いのかな?」と僕は疑問なのです。だって、同じ待つのなら、店の中で椅子に座れていたほうがラクなんじゃないかと。「行列名物」の名店ならともかく、ファミレスだし。ひょっとしたら、お客の心理というのは、行列で待つのは自分の責任、テーブルに座ってもなかなか料理が出てこないのは、店の責任、というようなものなのかなあ。こちらのほうは、正直、よくわかりません。でも、17歳でバイトの身分でありながら、店長に対して自分の主張をきっちりするなんていうのは、なかなかできることじゃないですよね。僕だったらたぶん、とりあえず言うとおりにしてバイト代もらっておこう、という感じだと思うのです。 やはり、「起業」に必要なのは、何よりも「行動力」なのでしょう。ちゃんとしたアイディアができてから…なんて考えこんでしまうようなタイプの人は、いつまで経っても起業なんてできないのです。そして、「行動力」がある人のなかで、時流に乗れて運があった人が成功していくのでしょうね。
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