初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2005年09月22日(木)
「ナポリタン」を求めて三千里

「ゆっくりさよならをとなえる」(川上弘美著・新潮文庫)より。

(「ナポリタンよいずこ」という題のエッセイの一部です。)

【突然スパゲッティナポリタンが食べたくなって、困った。
 オリーブオイルだのゴルゴンゾーラチーズだのポルチーニだのを駆使した本場イタリア的「パスタ」ではなく、ハムと缶詰のマッシュルームを油で炒めたところに、ちょっと茹ですぎたスパゲッティーをほぐしながらいれて、最後にトマトケチャップをちゅーっと絞り出してからめた、あの古式ゆたかな「スパゲッティー」が、どうしても食べたくなったのである。
 町じゅうを、スパゲッティーナポリタンを探しつつ、歩く。イタリア料理店がある。オープンテラスの喫茶店がある。ビーフシチューが名物の洋食屋がある。しかし、スパゲッティーナポリタンがメニューにありそうな喫茶店は一軒もない。
 スパゲッティーナポリタンはもともと、トマトソースのパスタを日本風に手軽にアレンジしたものだろう。たとえばカレーうどんのカレーが本来のカレーとは別物であるように、スパゲティーナポリタンも本来のトマトソースのパスタとは別物であるにちがいない。この別物感が、いい。そういえば焼きそばパンというものもあった。あんパンというものもあった。本来の食品を、「日本風」にアレンジしたもの。そういうものが、私は大好きなのである。
 カレーうどんも焼きそばパンもあんパンも脈々と世に生きつづけているのに、スパゲッティーナポリタンがないのはけしからん、と憤慨しつつ、町を歩く。そういえば、とどんどん思い出す。バター醤油かけごはんというものもあった。熱いごはんにバターをひとかけ、そこにちゅっと醤油をたらし、かきまぜて食べる。これも立派に市民権を得ている。『平野レミのおりょうりブック』(福音館書店)にも堂々と載っていたし。】

〜〜〜〜〜〜〜

 結局この日、川上さんは、愛しい「スパゲッティーナポリタン」にめぐりあうことはできず、家で自分なりの「ナポリタン」を作ってみるのですが、結局【こんなんじゃない。正しいスパナボはもっと油くどくて妙に甘くて必要以上に赤くてためらいのないものなんだ、と心の中で叫びながら、食べおえた。】ということになってしまうのです。ちなみに、このエッセイの次の回では、読者から「正しいスパナボが食べられる店情報」がいくつか送られてきた、という話が出てきます。意外と「スパゲッティーナポリタン」のファンというのは、少なくないのかもしれません。
 このスパゲッティーナポリタンというのは、僕が子供の頃にはよく食卓に上がっていたもので、「スパゲッティー」といえば、この「ナポリタン」か「ミートソース」のことでした。そういえば以前、ナポリに言った日本人が「本場のスパゲッティーナポリタンを食べたい」とリクエストしたところ、現地の人に「そんなものはない」と言われた、なんていう話を耳にしたことがあります。どうして「ナポリタン」という名前がついたのかを調べてみるとこういう記事があったのですが、結局、誰が最初にこの名前をつけたのかについては、定説はないようです。
 最近は、「パスタ専門店」(スパゲティじゃなくて「パスタ」ですからねえ)が増えてきて、スパゲッティーを口にする機会も20年前よりは遥かに増えてきたにもかかわらず、僕もこの「ナポリタン」を口にするのは、コンビニ弁当のつけあわせとして、くらいのような気がします。そもそも、メニューに載っていないのか、それとも、メニューに載っているにもかかわらず、僕の選択肢に入ることがなかったのかすらわからないくらいのもので。

 「本格化」するにつれ、僕が子供の頃に親しんだ食べ物が変容していくのには、ちょっと寂しい感じもあるのです。ソーセージ界からは、「魚肉ソーセージ」や「赤いタコさんウインナー」が斜陽族となり、オムライスも外で食べれば、デミグラスソースがかけられていることが多いのです。そりゃあ、子供心に、なんでチキンライスもケチャップで、卵の上もケチャップなんだろう?と思ったこともありましたが、やっぱりあれは、トマトケチャップの酸っぱさが懐かしい。カレーだって、今はどこでも「胃が痛くなる本格スパーシーカレー」ですし。
 たぶん、こういうのって、「美味しい」という以上に、思い出を美化してしまっている面が大きいのだろうし「ナポリタン」だって、実際に口にしてみれば「まあ、こんなもんだよな」というだけで、とりたてて大騒ぎするほど美味しいものではないのかもしれません。
 それでも、自分が慣れ親しんできた食べ物たちが「ニセモノ」として低くみられるのは、なんだかとても悲しいことなのです。

 しかしまあ、実際にパスタ専門店で、「ナポリタン」を見かけたとしても、やっぱりもっと豪華な感じがする「サーモンといくらのパスタ」とか「牛頬肉のパスタ」とかを注文してしまいそうな気もします。
 もちろん、財布が許せば、という話ですけど。

 「ナポリタンは、遠くにありて思うもの」なのかもしれませんね。