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2005年09月20日(火) ■ |
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眞鍋かをりさんが、「ブログを書くうえで一番気を付けていること」 |
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「眞鍋かをりのココだけの話」(眞鍋かをり著・インフォバーン)より。
(巻末の「読まれるブログにするための眞鍋かをり流<10カ条>」のうちのひとつです。
【3.主張はOK。……でも批判は考えもの
ネットの世界では誰もが簡単に自分の意見を自由に公開することができます。でもその「自由」をはき違えてしまうと、絶対に人には読んでもらえません。主張と批判のラインというのは本当に微妙なものですが、読み手はその違いを敏感に感じ取るものです。言葉を発信できるということは、その言葉で人を傷つけることもできるということ。この部分はブログを書くうえで私が一番気を付けていることです。記事の見直しをしながら「これを読んで傷つく人がいないだろうか」といつも心配になります。実際には不本意にもそういう人もいるのかもしれませんが、自分なりに厳しくチェックして、それをクリアしてからじゃないと更新はしません。主張には批判が含まれてしまうこともあります。でも、「むやみに人を傷つけないこと」を意識して当事者の立場からもものを見て、言葉を選び抜いた主張なら、読み手が嫌な思いをすることは少ないでしょう。結局、自分本位で読み手のことを考えないブログというのは読まれないんです。】
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「ブログの女王」眞鍋かをりさんが語る、「読まれるブログにするための秘訣」なのですが、併載されているインタビューでは、眞鍋さんは【とくにしっかり時間をかけて書くときは、ひとつの言葉を選ぶのに何十分もかかったり、接続詞を選ぶのに延々頭を悩ませたりとか……。すごく考えますね。】と答えられています。気楽に面白いことを書いているようにみえるけど、実は、ものすごいこだわりがあったり、細心の注意をされたりしているようなのです。確かに、「軽く読ませる」というのは、一見簡単そうなのだけれど、本当は大変なことなんですよね。 さて、ここで眞鍋さんが書かれている「主張と批判」の話なのですが、この言葉には、眞鍋さん自身の経験もたくさん込められているのだと思われます。多くの人の目に触れるサイトであれば、それだけリアクションの数も多いでしょうし、読んでいる人の立場も幅広いものとなるでしょうから。インタビューのほうでは、【う〜ん、実際に書き始めてから思ったのは、起きた事件などに触れるとしても、なにを書いても結局はイヤな思いをする人がいるんだな、ということですね。それが多数派の意見であろうと少数派の意見であっろうと、どちらかが不愉快な気分になるとしたら、とくに批判めいたことなんかは偉そうに書くことはできないですね。】と言われています。結局のところ、どんなに気をつけていても、「誰も傷つけない文章を書く」というのは、やっぱり不可能なのかもしれません。副作用のない薬がありえないように、何かを表現するというのには、そういうリスクがつきものなのでしょう。ただ、それでも眞鍋さんは、書き続けることを選んで、「むやみに人を傷つけないこと」を意識することによって、今まで「ココだけの話」を維持してきたのです。イヤになってしまったこともあるだろうし、プレッシャーも大きくなる一方だったと思うけれど。 多くの鳴り物入りで登場した「芸能人の本音が聞ける」はずのブログは、どんどん「宣伝しか書いていないブログ」や「無難なだけで、面白くないブログ」になっていっているのに。 僕だって、芸能人だし、若い女の子だから、こんなに読まれているんだ」とか、ちょっと妬いてみたりもするのです。いやもう、考えてみれば「アクセスが多い」というだけで、こうして悪意を持って観る人間だっているのだから、眞鍋さんも大変ですよね。 たぶん「正しいこと」を書いているブログというのは、この世界にたくさん存在しているのです。でも、そういう「正しい内容」がなぜ多くの人に伝わらないのか?その答えを出すための大きなヒントが、この眞鍋さんのアドバイスにはこめられているのではないかなあ。 「自分の話を聞いてもらうためには、まず、相手の話をちゃんと聞くこと」、そんなの、コミュニケーションの基本として小学校で習っているはずなのに、どうしてネットを介すると、人はみんな「独善的」になってしまうのでしょうか…
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