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2005年08月06日(土)
「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった」

読売新聞の記事より。

【広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」元乗組員3人が原爆投下60年を前に、「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」とする共同声明をインターネット上に発表した。
 声明を出したのは、エノラ・ゲイ乗組員12人のうち、生存するポール・ティベッツ元機長(90)ら3人。声明は、原爆投下がなければ、連合軍による日本の本土上陸作戦は避けられず、「日本人や連合軍の多数が犠牲となっていた」と主張している。声明は、英BBC放送など欧米メディアで報道された。
 ティベッツ元機長は声明の中で、「私は、日本の退役軍人や市民からも感謝された。(原爆投下がなければ)彼らは、捨て身の本土防衛をせねばならなかったからだ」との意見を記した。】


共同通信の記事より。

【ドイツ週刊誌シュピーゲル(電子版)は5日、広島に原爆を投下した米爆撃機エノラ・ゲイの乗組員だったセオドア・バン・カーク氏が同誌との会見で「原爆を投下するまでもなく(当時の)日本は敗戦国だった」と述べた、と伝えた。
 カーク氏の証言は、米軍の実行部隊レベルでも原爆投下前の日本が事実上、敗戦状態だったとの認識があったことをうかがわせる。
 カーク氏は「日本は国土の85%が焼き尽くされ、投下しなくても工業基盤は崩壊していた」と回想。ただ「日本はそれでも戦争を継続しようとしていた」とも強調した。
 同氏はまた、同機のティベッツ機長が撃墜された時の自決用に乗員全員分の青酸カリを持っていたことを後に教えられたとしたが、もし撃墜されても「私は日本人と何とかやっていけると思っていた」と述べた。】

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 今日は、広島の「原爆の日」です。広島の小学校に通っていた僕としては、最近核兵器のことが全然語られなくなってきたような気がする上に、「日本の核武装すべきだ!」なんて意見を公の場で述べる人まで出てきて、ちょっと不安な気持ちになっていたのですが、今年は60年目ということもあって、メディアでも、あらためてこの原子爆弾という兵器と、それが人々にもたらした災厄について、語られることが多いようです。昨日はゴールデンタイムに検証番組をやっていましたしね。ああいうのって何年ぶりかに観たような。
 とりあえず「火垂るの墓」を放送しておけばいい、というのも、さすがに希求力が低下しているなあ、と思いますし。
 ただ、70年目の「原爆の日」は、どうなっているだろう?原爆のことがこんなに取り上げられるのは、これで最後なのではないか、とか、そんなことも考えてしまうんですけどね。

 さて、この「エノラ・ゲイ」の搭乗員たちの「証言」なのですが、彼らがあえて「自分たちは正しいことをした」という声明を出しているということそのものが、「迷い」の表明でもあるのだと僕は感じます。たとえば、溺れた子供を助けた人が、わざわざ「自分は正しかった」なんてあらためて発言する必要はないわけで。
 僕は小学校の社会見学で、原爆資料館に行ったとき、そのあまりに凄惨な展示物の数々に衝撃を受けました。その夜は、怖くて眠れなかった。それは「原爆を落としたアメリカが憎い」とか、そういうレベルのものではなくて、どうしてこんな恐ろしいことが、人間の歴史に起こってしまったのだろう?という怒りと、これを再現できるものが、地球上にまだたくさん存在しているのだという恐怖感、とにかく、ここで見たもののことはすぐに忘れてしまいたい、と切実に思ったものです。結局、ずっと忘れられないのですけど。

 僕は、日本への核の使用は、「戦争犯罪」に値するのではないか、と考えてます。だって原爆があの日無差別に消してしまった命の多くは、非戦闘員だったのですから。そういう意味では、ナチスのホロコーストと、やった側が勝ったか負けたかの違いだけしかないのでは?とすら思うのです。
 でも、その一方で、こんなふうにも考えます。もしあのまま戦争が続いていたら、僕の父親や母親も戦争で命を落としていたかもしれないのだから、ひょっとしたら僕が今生きているのは、「原爆のおかげ」なのかもしれない、と。
 たぶん、そんなはずはない、そう信じたいけれど、僕個人、いや、現在生きている人たちにとっては、そういう側面があるのも否定できません。もし原爆投下がなければ、戦争終結までに原爆の犠牲者以上の人が命を落としたかどうかはわからない。でも、少なくとも、今、僕はこうして生きている。

 本当に耳を傾けるべきなのは、「死者の声」でなければならないはずです。生き残った人たちにとては、少しずつでも「過去」になっていくことでも、それで命を失ってしまった人たちにとっては、あの一瞬ですべてが止まって、終わってしまったのだから。
 原爆の犠牲になった人たちには、「戦争」という非常事態の中にあったとしても、今の僕たちと同じような夏の、戦時下なりの「日常」を過ごしていただけなのに。
 エノラ・ゲイの搭乗員たちを責めても仕方ないとは、僕も思うのです。彼らは一兵士だったのだし、彼らが人道的な理由でこの任務を拒否したとしても、他の兵士がそれをやっただけのことだろうから。そして、彼らだって、あの光景を目にして、何も感じなかったとは思えないけれど、自分や家族を守るため、という自衛の気持ちだってあったはずです。現場の兵士にとっては、「自分が死ぬかもしれない、人道的な兵器」よりも「自分は安全な、非人道的な兵器」のほうが、好ましい場合だってあるでしょう。戦争はオリンピックじゃありませんから。「日本がどうせ負ける」とは認識していても、戦争が終わるまでに、自分が死ぬリスクは少なくしたいはずだし。

 「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」
 今の僕には、正直「あの瞬間」に原爆が必要なかった、と言い切る自信はないのです。
 でも、今、この瞬間、2005年8月6日、世界に核兵器が必要だとは、僕には思えない。少なくとも、原爆の犠牲者になった方々は、人類にそれを教えてくれたはずなのに……