初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2005年07月16日(土)
「しかし、これだって、いつかネタになるはずだ」

「綿いっぱいの愛を!」(大槻ケンヂ著・ぴあ)より。

【実際、いっそネタと考えれば大方の災難はやり過ごせるものだ。受験失敗、学校中退、プチひきこもり等々。青春時代も沢山のトホホ状態を経験してきた。その度に「しかしこれは、いつかネタになるぞ」そう思ったら、一瞬にして事態は客観性を帯び、フカンからその全体像を観察できるようになった。すると必ず何らかの逃げ道を発見することが出来た。どんな逆境にも、意外に、まるで面白コラムのネタのように、笑える側面があるのだという救いにハタと気が付くからだ。
 20代後半にノイローゼを患った。これは我が半生最大のピンチであった。タイの島でマジック・マッシュルームを食べたところ強力なバッドトリップにおちいり、PTSDというやつなのだろう、帰国後にパニック障害を起こし、闇のような鬱状態で何年も苦しむこととなった。その時は、お経のごとく自分に何度も言い聞かせたものだ。
「しかし、これだって、いつかネタになるはずだ」
 そうでもしなけりゃこの苦しみの元が取れねーよ!という、言ってみれば逆切れであった。
 精神の病にもがいている自分自身を面白ネタとして観察してみることにしたのだ。すると例えば「沼の底の魚を想像したら怖くなった」という理由から糸井重里さんの釣りの誘いを断る大槻ケンヂなんてのがそこにいた。自律神経がいかれていたために、何もかもが恐ろしく思えてならなかったのだ。当人にすればいかんともしがたい恐怖症なのだが、ハタから見たらそれただのヘンなやつである。糸井さんも「??」と思ったことであろう。そう考えれば、こいつは面白コラムのネタにうってつけの人物ではないか。「大体お前、魚が怖いって、今朝も塩鮭食べてんじゃん」と日記でつっ込みを入れてもみたり。そうやって苦しむ自分をネタにして面白がっていくうちに、病める自分と面白がる自分が少しずつ重なっていった。やがていつの間にか平静の自分を取り戻すまでに回復できた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 その「逆境」の程度に差こそあれ、僕も含めてこうやってネットに日記や雑文を書いている人というのは、多かれ少なかれ、こういう「しかし、これだって、いつかネタになるはずだ」というような気持ちはあるはずです。例えば日常でのちょっとした失敗に対して、落ち込むのと同時に「これ、日記のネタになるな」とか考えている自分に愕然とするような経験って、ないですか?
 大槻さんのように「面白ネタでお金を稼げる人」でなくても、毎日こうして文章を書くというのには、【事態は客観性を帯び、フカンからその全体像を観察できるようになる】という効果は確実にあると思います。少なくとも、どんなマイナスの状況でも「ネタにできる」という「メリット」を感じることができますし。
 それに、良い事ばかり、自慢話ばかりよりも、そういう自分で自分が情けなくなるような話のほうが、ほかの人に読んでもらう「ネタ」としては、魅力的だったりしますしね。

 でも、こうして文章を書いていると、僕みたいに、こういう文章から収入を得ているわけでもない人間ですら、自分の周りのどんな不幸な事象に対しても「ネタになる」というような発想になってしまうことがあるのです。仮にそれで、自分や周りの人が深刻な状況に立たされていたとしても。そして、「客観視」を続けているうちに、自分自身のことでさえ、リアリティが失われてしまうような気もしてくるのです。
 僕は、最近テレビによく出ている杉田かおるさんを観ていて「よくやるなあ…」と感じる一方で、なんとなく、杉田さんという人は、「自分に起こった事」をネタにしているうちに、主観と客観がごちゃごちゃになってしまって、「ネタになるようなことを、杉田かおるというキャラクター(=自分)にやらせるようになってしまった人」なのではないか、と思えてきたのです。彼女自身は「自己演出」だと考えているのかもしれませんが、ハタからみると、ああいうのは、その域を超えてしまっているのに、本人は踊ることを止められなくなってしまっているのかな、と。
 ネット上でみられる「不倫日記」なんてのも、そういう傾向がありそうです。「不倫のやりきれない気持ちをネットで発散している」というよりは「ネットで自分語りをするために、『不倫という題材』を自分で演じているだけなんじゃない?」というようなのは、けっして少なくはありません。
 もちろん、本人がどこまで自覚的なのかはわかりませんが、そういうのって、どんなにアクセスは稼げても、結局傷つくのは「現実の自分」のはずなのに。

 自分を客観視するというのは大事なことだけれど、あまりに度が過ぎると、「自分で自分を不幸にする」という可能性も十分あるような気がしています。
 人生をネタにするのはいいけれど、ネタにするための人生を送るっていうのは、あまりに危険だよなあ。