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2005年07月02日(土)
『ガラスの仮面』の最終回

「週刊アスキー・2005.7.12号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(人気マンガ『ガラスの仮面』の作者・美内すずえさんと進藤さんとの対談記事の一部です。)

【進藤:(『ガラスの仮面』の)最終回のイメージはすでに固まっているとか。でもそこに行きついちゃうと、さびしい気持ちになっちゃうでしょうね。

美内:ものすごくさびしいですよ。

進藤:ですよね。きっと。

美内:人生の半分以上、家族のようにつき合ってきたわけですし、最終回を描き終わったらキャラクターたちにもう会えなくなるんですよ。

進藤:その最終回のイメージ、いつごろからもってらっしゃるんですか。

美内:10年以上も前に、真剣に考えたことがあるんです。最終回を描くときはさびしいだろうなあとか、描き終わったらすごいダメージになるかもしれないって。でも、いつかはエンドマークを打つわけで。描き終わったらもう終わるしかないんですけど、そのときはちょっとお通夜のような気持ちになるかも(笑)。

進藤:そのときはやはり、マヤと亜弓のどちらかに軍配があがる?

美内:ふふふ、さあ、それはどうなるんでしょうね(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『花とゆめ』(白泉社)で『ガラスの仮面』の連載が始まったのが、1976年だそうですから、ほぼ30年間続いていることになりますね。
 ところで、僕はこの対談記事で美内さんのプロフィールを読んで、正直、ホッとしたのです。いったいどこにホッとしたのかというと、美内さんの年齢に。美内さんは、1951年生まれだそうですから、現在、50代半ばになられます。ということは、あと10年くらいは十分現役でやれそうですし、これならなんとか「エンドマーク」までたどり着けるかな、と。
 まあ、そんなふうに考えるのは不謹慎ではありますし、実際、41巻と最新の42巻のあいだは、6年間も開いてしまったようですから、「油断はできない」のかもしれません。
 僕がなんでそんな失礼なことを考えていたかというと、『ドラえもん』のような、1話完結形式ならともかく、一つの流れのなかで話が進んでいく、ストーリーマンガや小説では、「未完」というのは、やっぱりどうも居心地が悪く感じられるからです。どんなにその「途切れるまで」のプロセスが素晴らしい話でも、「この話は、ちゃんと完結しない」というのを知ってしまうと、どうもその話を読み進めていく熱意が薄れてしまうのですよね。例えば、どんなに途中のストーリーやレベル上げのプロセスが面白くても、ストーリーが途中でプッツリ切れて終わってしまう「ドラゴンクエスト」とかがあったら、やっぱりそれは消化不良の念を禁じえないでしょう。
 一時期は、「このまま『未完』になってしまうのではないか」と言われていた『ガラスの仮面」ですが、とくに、後世このマンガを読む人たちにとっては、それなりの「エンドマーク」があったほうが良いと思うんですよね。まあ、これだけファンの多いマンガですから、どんな終わり方であっても、毀誉褒貶があるのは致し方ないでしょうけど、それでも「未完」よりは、はるかに良いのではないかと。
 もちろん、「まだ終わって欲しくない」「終わらせたくない」という気持もわかるのですが。

 ところで、この『ガラスの仮面』を描く上で、美内さんは、こんな話もされています。
【流行語やファッションっていずれはすたれるし、本当は流行りものは一切取り入れるのはやめようと思っていたんですけど、電話だけはどうしてもねえ。いまだに黒電話を使ってたらかえって不自然だし、なんだかヘンじゃないですか】
 まさに、こういうのは、30年にわたって連載された、大河マンガならではの悩み、なのでしょう。携帯電話の登場なんて、恋愛ドラマではストーリーの根源を揺るがすこともあるでしょうし、あまりにも長い連載というのは、やっぱりそれ相応の苦労もあるのですよね。