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2005年06月14日(火) ■ |
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「出てこい!マサルさん」 |
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日刊スポーツの記事より。
【貴乃花親方は生出演した日本テレビの夕方のニュース番組で、兄勝氏を痛烈に批判した。この日の日本相撲協会葬後、報道各社にファクスでコメントして無言を貫いた兄に、辛らつな言葉を浴びせた。
「勝さんも自分の口でお話をされるべきではないでしょうか。(コメントは協会葬の)直後に出していますね。計画的に練られた手法ではないでしょうか。目を見てお話しすることが必要。これ(ファクス)は理不尽。それに勝さんは当事者でしょう。(コメントを控えるなら)誰が、答えるのですか? 今後、どういう手法をとるのか興味があります」。
人前に出てきちんと話をすることを求めた。確執発覚後、カメラの前でどんな話題にも答えてきた自負があるだけに、兄の行為に怒りをあらわにした。
喪主を務めた協会葬が終了した直後の会見では、冷静沈着だった。兄との関係について質問が及んでも「今日は協会葬ですし、これまでお話ししている以上の進展はありません。あった時には私の口から正直にお話しします」と、いつもの落ち着いた口調だった。
それが1枚のファクスを契機に、怒りが膨れあがった。兄のファクスを会見中に知ると「そうですか」と受け流した。しかし、胸中は違っていた。
テレビでの暴走は続いた。「男同士、腹を割って1対1で話すことが最善策と思ってきました」「テレビの前に出て私の発言に対して、反論するならきちんと反論すべきです」「言葉よりも行動。目を見てお話しすることが必要」「兄に見合う行動をしてくれなければ兄という言葉は言えない」。画面の向こうの兄に訴えるように痛烈な言葉を並べたてた。
今月6日、日本テレビの番組に貴乃花部屋で生出演したが、兄を批判することはなかった。「この問題に早く終止符を迎えたい。賛否両論あると思いますが、真実は1つ。ファクスのコメントではなく、テレビカメラの前でインタビューを受けることを望んでいます」。
朝8時すぎに勝氏の自宅で遺骨を受け取り、その遺骨は協会葬後、貴乃花親方が自宅に連れ帰った。その経緯についても、貴乃花親方は会見で「勝氏はお寺(東京都杉並区の天桂寺)の住職に預かってほしいとお願いしていましたが、私が住職に一般的には納骨までどうするのかと聞いて、私の自宅に置くことにしました」と食い違いを明かした。兄弟間の溝は深まるばかりだ。】
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この兄弟ゲンカ、いまや日本中の注目を集めています。昨日病室を回診していたときに、この貴乃花親方出演の番組を、どの患者さんも目を輝かせて観ていましたし。兄弟の不仲や内縁の妻、遺骨を巡っての争い、おしゃべりな家政婦…ここまで典型的な「骨肉の争い」というのは、滅多に観られるものじゃありません。「事実は小説より奇なり」とは言いますが、これはまさに「ベタすぎて小説に書いたら笑われるような事実」なわけで。たとえ、「花田家的なもの」というのをどの家族も少しずつは抱えていたとしても、ここまでそういう「要素」が揃っていることは、ものすごく珍しいのではないでしょうか。
この貴乃花親方の会見なのですが、ある意味「不器用な人」なんだなあ、とも思えるものではあります。【「勝さんも自分の口でお話をされるべきではないでしょうか。(コメントは協会葬の)直後に出していますね。計画的に練られた手法ではないでしょうか。】というところなんか、読んでいて、「ラジオ番組にネタを送っているわけじゃないんだから、『計画的』に決まってるじゃん!」と、思わずツッコミたくなるんですけど。葬儀というのには、確実に儀礼的な面があるのは事実だし、みんなそういう「建前」を望んでいるということを誰か教えてあげなかったのでしょうか。 確かに、お兄さんのほうは、今は「花田家の長男」としてキチンと振る舞っているのですが、これまでは、相撲協会をやめて芸能人化してみたものの何をやってもうまくいかなかったりしていますし、不倫騒動なんてのもありましたし、その点では、「父親が遺した部屋を継承するために頑張っている」弟のほうが、「親孝行」なのかもしれません。僕が受けている印象では、二子山親方は、「兄のほうがかわいいけれど、弟のほうを評価していた」のではないかなあ、という気がするのです。そして、この二人には、お互いに対するものすごいコンプレックスがあったのではないか、と。 【「男同士、腹を割って1対1で話すことが最善策と思ってきました」】【「テレビの前に出て私の発言に対して、反論するならきちんと反論すべきです」】これは、両方とも貴乃花親方の発言です。世間一般からしたら、これってものすごく矛盾してますよね。でも、貴乃花親方にとっては、「1対1で直接会って話すこと」と「テレビカメラを通じて話すこと」は、同じことなのだと認識されているようです。それって、ものすごく違和感がありますよね。マスコミを通じての「対話」は、あくまでも、お互いに言いたいことを一方的に送りつけているだけなのに。 普通に考えれば、「マスコミの介在しないところで、直接話をしたほうが、お互いに『手打ち』がしやすいのではないか」と思われます。こうやって大々的に報道されてしまっては、お互いの面子もあるだろうし、なかなか「折れる」わけにはいかなくなりますよね。実は、先に「折れて」しまったほうが、世間的には評価されるものだとしても。 貴乃花親方は僕と同じくらいの年齢で、父親が若くして亡くなったのに、悲しんでいる時間より、骨肉の争いを繰り広げていく時間のほうがはるかに長そうなのも、正直観ていてせつないです。身内の死に対して、そんな「余裕」があるのだな、って。 今回の騒動を観ていると、「世間に注目されること」というのは、人間のいろんな感覚を麻痺させていくのだ、ということをあらためて認識させられます。マイケル・ジャクソンにしても、花田家の人々にしても、変わっているからマスコミに注目されるのか、マスコミに囲まれていくうちに、どんどん変になってしまったのか、さて、どちらなのでしょうか……
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