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2005年06月07日(火)
父と娘の「文章教室」

「週刊ポスト2005/6/3号」の記事「父と娘の肖像〜最終回」(江川紹子・著)より。

(エッセイスト・阿川佐和子さんと、そのお父さんである作家・阿川弘之さんのエピソードです。)

【初めて仕事として文章を書いた頃、佐和子はまだ両親と同居していた。書き上げた原稿を編集部に届けようとした彼女を、父が呼び止めた。
「編集の方に電話して、三十分遅れると言いなさい」
 そして、父の原稿チェックが行われた。その後も、同じような場面は何度もあったが、父の指摘は、文章の書き方や言葉の使い方、意味などについてで、文章の内容に関して意見することはなかった。
 佐和子が一人住まいをするようになり、月刊誌で連載を始めると、どこから聞きつけたのか、父からこんな電話がかかってきた。
「雑誌は、うちにも届けていただくようにしなさい」
 そして、毎月雑誌が届く頃になると、また電話。
「百三十六ページ、一番上の段、頭から七行目。こういう形容詞を使うな。何度言った分かる」
 エッセー集を出した時には、実家に呼び出しがかかった。「電話で済ませられるような量じゃない」と言われ、佐和子は仕方なく”出頭”。本に付箋を五十か所以上貼り付けて待ちかまえていた父は、一つひとつ意見を述べていった。言葉の語源や、昔と今で使われ方がどのように変わっていったのかなど、まるで文章教室のように話は広がった。生徒は娘ただ一人。
「『うん?』と思う時もあるけれど、本当に貴重なことなので、(そういう機会には)なるべく素直な心になって聞いてます」
 せっかく殊勝になっている娘に、父は、「タダで文章修行をさせてやっている。ありがたいと思え」と憎まれ口を叩いたりもする。
 けれどこの父は、娘の文章を読んでも、その出来が芳しくないと思った時は、逆に何も言わない。
 佐和子にもスランプはある。担当編集者から「最近の文章は面白くありません」と言われて落ち込んだ時、父のアドバイスはこうだった。
「そういう時はあるものだ。それはしょうがない。野球選手だって、打つのは三割。次に頑張ればいい」
 暴君のような日常があるからこそ、こんな優しいひと言は、何十倍もありがたく心に沁みるし、長持ちもする。
 だからだろう、悪口を書き連ねているにもかかわらず、佐和子の文章には父への愛情や敬意がにじみ出ている。】

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 先日、江國香織さんが初めて日記を書いたときにお父さんに注意されたことを題材に取り上げたのですが(『活字中毒R(5/26)』)、ここにもまたひとり、「作家の父親」がいます。阿川佐和子さんは、エッセイストあるいはタレントなどとして活躍されているのですが、お父さんの弘之さんも(「も」とか書いている時点で、御本人が聞いたら怒りそうなんですが)戦記ものや鉄道ものなどの作品で有名な作家なのです。僕にとっては、娘・佐和子さんのエッセイに出てくる厳しいけど憎めない父親、というイメージのほうが強いのですけど。

 女性のエッセイストには、「父親」のことを描かれる方が多いような印象があるのですが、なかでも僕の記憶に残っているのは、向田邦子さんです。向田さんの父親も、頑固で厳しい「昔気質の親父像」そのもので、向田さんも「ほんとにうちの父親は…」みたいな感じで半ば呆れていたような感じなのに、それでも、そんなお父さんのことを書かれるときの向田さんのエッセイからは、なんだかとても深い愛情が伝わってきたような気がします。阿川佐和子さんも、何度もお父さんをエッセイのネタにされていますが、本当にもうワガママなんだけど、憎めないという雰囲気が伝わってくるのです。そういう文章を読んでいると、やっぱり、女の子は父親の影響を強く受ける存在で、父親も娘には甘いのかな、とか考えてしまいます。
 逆に、男性作家で、父親に添削してもらった、なんて話は聞きませんから(言わないだけ?)
 この阿川さんの「父親チェック」は、僕が添削される立場だったら、「ウザイ!」とか思いそうですけど。

 それでも、【父の指摘は、文章の書き方や言葉の使い方、意味などについてで、文章の内容に関して意見することはなかった】というようなエピソードを聞くと、やっぱり、「父親」だけど、「作家」なのだなあ、という気がしますよね。自分のことが「とんでもない父親」として書いてあるところなんて、「削除」したい気持ちになったのではないでしょうか。
 でも、相手が娘とはいえ、他人の作品にそれをやったら、「作家」としての沽券にかかわる、と考えておられたのでしょうね。
 さんざん娘にネタにされて、父親としては、どういう心境だったのか、ちょっと興味深いところではあるんですけど。