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2005年04月19日(火)
「純愛」という名の迷宮

「わしズム Vol.14」(幻冬舎)に掲載されている対談記事「漫画家放談・不自由で不平等なのが恋愛」より。

(人気漫画家5人による「恋愛」に関する対談の一部です。参加者は、小林よしのり、みうらじゅん、しりあがり寿、倉田真由美、辛酸なめ子の各氏)

【しりあがり:昔から、男の人が、本当に相手を愛しているということを証明するために、体を求めないケースがあるよねー。大切にしているからこそ、しない。

倉田:それはただの自己満足ですよね。「バラを百本贈ることが愛情の証」みたいな思い込みと同じ。そんなことされたら、かえって迷惑ですよ。もっとも女のほうにも、「本気で落とそうと思った好きな男には五回目のデートまでは絶対にやらせない」なんて言う人がいるけどね。

しりあがり:そういう女の人がいて、男も「セックスを求めると嫌われる」って思っちゃう。でも、案外そういう人、多いんじゃないかなー。

倉田:でも、そうやって相手の気持ちを高めて引っ張るなんて、薄汚いやり方だと思う。私、すごく好きな人と最初のデートでセックスしたことがあって、そのときは「この女、楽勝だな」と思われるんじゃないかと不安だったけど、「したい」という自分の気持ちに素直に従っただけなんだから、後悔はしなかった。だって、すごく好きだったら、すぐセックスしたいじゃない?引っ張れるのは、本当は好きじゃないからだと思う。銀座のホステスが上手に引っ張れるのも、ただの客だと思っているからよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 こういう「恋愛論」というのは、まさに人それぞれの答えがあって、一概に「これが正しい!」なんていう答えは存在しないのですが、僕はこの倉田さんの言葉を読んで、なるほど、そういう考え方もあるのだなあ、と感心してしまいました。いやまあ、「すごく好き」=「すぐセックスしたい」という感情は、すべての男女に普遍的なものではないような気もするのですが、その一方で、世の中には、そういう「ガマンできないほどの激しい恋愛感情」というのもあるのだな、とも思いますし。「じらせる」というのは、ある意味、じらす側にもじらされる側にも、そういうゲームを楽しめるだけの心の余裕がある、というのは確かですよね。むしろ、「すぐ求める男」のほうが、「純愛」に近いのだろうか?

 モテナイ男である僕のイメージとしては、「性急にセックスを求めると嫌われる」のではないか、というのはあるのです。なんというか、体目当てだと思われそう、とか、ガツガツしているように見えそう、とか。
 これを読むと、「本当に好きなら、もっと自分の『欲望』に素直になったほうがいいのか!」という気にもなってきます。

 でも、一呼吸おいて、倉田さんの発言を読み返してみると、この主張って、「もっともらしいことを言って夢見る女の子を騙す、芸術家気取りで体目当ての男」の言い分にも思えるんですよね。「だから、さっさとやっちゃおう!」とか「それこそ人間の自然な姿なんだ!」とかいうような、欲望を満たすための理論武装。こういう場合、精神的ダメージはともかく、肉体的ダメージを受ける可能性が高いのは女性のほうが高いので、相手はよく選んだほうがよさそうです。
 実際は、みんなそれなりに吟味しているつもりなのか、逃げられない感情の波に押し流されてしまうのでしょうが。

 恋愛というものの価値は普遍的な1本の定規で測れるものではなくて、【一夜限り<<<長年の交際】と、どんなケースでも言い切れるわけではないのも事実です。
 その一方で、あまり熱烈な感情というのは、持続させるのが難しい面もあるのかな、とも思えてくるのです。一般的には、上手に引っ張るためのテクニックが必要なのかもしれません。