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2005年03月27日(日)
「サムライ」に愛された男

毎日新聞の記事より。

【人気コンビ「ウッチャンナンチャン」の内村光良さん(40)とテレビ朝日アナウンサーの徳永有美さん(29)が25日、結婚を発表した。すでに結納は済ませ、来月8日付で徳永さんがテレ朝を退社した後、婚姻届を出す予定。2人は番組の共演で知り合い、1年ほど前から本格的に交際、昨年暮れに内村さんがプロポーズした。内村さんは会見で「(徳永さんは)すごくいちずでサムライみたいなところに引かれました」と語った。】

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 内村さん、とりあえずおめでとうございます。まあ、これまでのプロセスを考えると、手放しで「おめでとう!」と言っていいのかどうか、外野である僕としては、ちょっと考え込んでしまうところもあるのですけど。
 ところで、内村さんの私生活に関して、僕はいろいろな噂を聞いたことがあるのです。なんでも「内村さんは休みの日にはいつも家に引きこもってずっとDVD(以前はビデオ)を観ているだけとか、飲み会の席でも、主役にもかかわらず、積極的に中心にいて場を仕切るというよりは、宴席の片隅で、誰かをつかまえて演劇論やお笑い論を熱く語っている、というような「私生活では暗い人」らしいのです(あくまでも「噂」なのですが)。相方の南原さんが本業以外のイベントにも積極的に参加することが多く、スポーツ選手にも人脈が広くて、いわゆる「セレブ志向」のように見えるのに比べると、なんだか対照的な印象もあって。もちろん、彼らがコンビであることにおいては、そういう対照的な面は、プラスである面も大きいのだと思いますが、「才能はあるけれど、内にこもってしまいがちなところ」というのは、女性タレントより、一般人と芸能人の境界域にいる「デキるお姉さん」である女子アナたちに愛される所以なのかもしれません。
 世間では「女子アナハンター」と言われている内村さんなのですが、今回の婚約会見をみていて、僕は少し印象が変わったような気がするのです。「内村、ついに」「やっと」「年貢の納めどき」なんて言葉がネットの見出しには踊っていましたが、「男の責任」というような観点を外して、逆から考えてみればどうでしょうか?

 内村光子という、内気で優柔不断なのだけれど魅力的な女性がいて、彼女には次々と自信家の男が言い寄ってきます。そして、男たちは光子に求婚してくるのですが、優柔不断な光子は結婚生活に自信が持てず(あるいは、もっといい相手がいるのではないか、なんて悩んで)、なかなか結婚に踏み切れません。そうこうしているうちに、相手の男は熱が冷め、光子のもとから去っていきます。しかし、今度の男は、妻がいるにもかかわらず、光子のことを一途に愛してしまい、ついには、糟糠の妻と別れてしまいます。光子は「ここまでのことになってしまったのだから、この人と結婚するしかない」とようやく結婚する決意ができました。

 こういう場合、光子自身も、こんなことになってしまったことに、軽い後悔を感じつつも、ようやく「決心」できたことに、ホッとしている面もあるのではないでしょうか。決断というのは、先延ばしにすればするほど、きっかけが失われていくものですから。
 僕の先輩の「できちゃった結婚」をした人のうちの何人かは、「いや、後悔したというより、なんだかキッカケができて安心したかな、という感じ」と話していたのです。今の世の中、ひとりで生きていくのにも物理的には困らないし、「結婚しないと一緒にいられえない」というわけでもない場合が多いので、その「決断のタイミング」というのはなかなか難しいのですよね。

 結局、内村さんは、「女子アナハンター」というよりは、ずっと「受身の立場」で、さまざまな女子アナに言い寄られていた、という面もあるような気がします。それはそれで、羨ましいかぎり、なんですけど。
 内村さんは、徳永アナのことを「一途で、こうと決めたら貫いていく侍みたいな人」と会見で言っていました。一般論的には、「不倫を貫いてどうする!」と言いたくなるところではありますが、内気で優柔不断な内村さんにとっては、「自分をちゃんと引っ張ってくれる男」と出会えたのは、きっと幸せなことだったのでしょう。

 それにしても、「結婚」というものに対しては、そのプロセスがどうであれ、みんなとりあえず「おめでとう」って言うものなのだということを今回あらためて感じました。まあ、僕もひとりの大人として考えると、そういうのって、「自分にもありえないことではないからなあ…」という面もありますし、たぶんみんなそうなのでしょう。恋愛のことだけは、「なるようにしかならない」ということにしておいたほうが、みんな安心なのかな。