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2005年03月04日(金)
角田光代さんが『対岸の彼女』を書いたきっかけ

『文藝春号2005』(河出書房新社)の「角田光代ロング・インタヴュー」より。

(賞を貰った児童書『キッドナップ・ツアー』が、他の人から「転換期」ととらえられがちだが、自分自身にとってはそうではなかった、という話のあとで。)

【編集部:逆に角田さんにとって自分の転換期かなと思える作品というと、たとえばどういうものですか。

角田:『エコノミカル・パレス』と『空中庭園』ですね、やっぱり。それまで私の書き方が、何かの賞の候補になって、落ちると、それが必ず自分の内的な問題に結びついてきて、「ここがいけなかった、私はこういう弱いところがあってそこを避けてしまう。じゃあそこを書かなきゃ」って掘り下げていくような作業だった。今振り返って変だなって思うのは、小説に力が足りない、小説自体が力を持っていないって気づいたときに、イコール私は弱い人間だ、って結びつくんです。そうすると、変な話なんだけど、人間的にも成長しなければ小説も成長しないみたいな……。

編集部:わかります。今はそう思わない?

角田:すごく個人的な問題ですけど、『空中庭園』のときに、「私がいかような人間であっても書くものは関係ない」って思ったんです。それまでは批判がそのまま人間性への批判になって聞こえていたのでたぶんすごく苦しかったんで、あるとき切り離そうと思って、いわゆるいい、美しい話を書いている小説家ですっごいヤなヤツとかいるじゃないですか。それで「人間性って関係ない」って思ったんですよ。

編集部:でも人のことを思うのは簡単なんですけど、それを自分に向けるのは大変じゃないですか。

角田:『空中庭園』のあとに『対岸の彼女』を書いたきっかけというのは、よしんば私が本当に心が汚くてどす黒いものしか見ない人間であったとしても、きっと何か美しい小説とか希望のあるものは書けるはずだ、っていうことがつながって『対岸の彼女』になって、あれはたぐい稀なるハッピーエンドというか、はじめてハッピーエンドを書いたんです。】

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 そして、その『対岸の彼女』で角田さんは直木賞を受賞されて、まさに「ハッピーエンド」となったわけなのです。
 まあ、角田さんは、「私がいかような人間であっても書くものは関係ないと思った」と話されていますが、実際のところ、「書く」という行為には、良かれ悪しかれ書き手の人間性は反映されてしまうという面があるのは否定できないところです。でも、この心境に至るまでの角田さんは、「いい作品を書きたい」というプレッシャーのあまり、「人間性に問題があるから、他人に褒められる小説が書けないんだ」というネガティヴな方向にばかり気持ちが向かってしまっていたのでしょうね。それは、人格の問題というよりは、ちょっとしたコツみたいなものでしかなかったのに。
 僕は基本的に、「まず精神論」みたいなタイプの人とは相容れないのですが、そういえば研修時代に相性が悪い上司がいて、その人は僕が何か知らなかったり手順に迷ったりするたびに、「人格否定発言」みたいなことを僕に言っていたなあ、なんてことを思い出しました。その人は、もちろん実力的には僕よりはるかに上でしたし、当時の僕は、「自分はなんてダメな人間なんだ…」と毎日酷く落ち込んでいたものでした。それこそ、もう仕事なんか辞めてしまおうかと思うくらいに。
 今から考えてみると、知らなかったら勉強すればいいし、手順がわからなければ、自分で調べるかわかる人に聞けばいいだけのことです。そんなの、技術的な問題であって、人間性なんて関係ありません(勤勉性とか、そういうのは多少はあるかもしれませんけど)。少なくとも経験不足で仕事ができないからといって、人格に問題があるなんてことはないはず。
 でも、その渦の中にいるときは、とにかく「自分はダメな人間だ…」というふうにばっかり、考えがいってしまっていたよなあ…

 そして、「作品(あるいは仕事)は、必ずしも人格そのものではない」ということも言えるでしょう。「リングの上で反則とか悪いことをするレスラー(ヒール)のほうが、善玉(ベビーフェース)よりも、プライベートでは優しい人が多い」なんていうプロレス界の話を以前聞いたことがありますし、「絵本作家はみんな性格が悪くて子ども嫌い」なんていう伝説も耳にしたことがあります(いずれも、証拠があるわけではありませんが…)。
 有名な純愛小説を書いた作家が結婚と離婚を繰り返したり、男女の温かいラブソングを作るシンガーがホモセクシャルだったりするのは、ひょっとしうたら、人間というやつは、自分が持っているものより、自分に欠けているもののほうがよく見えるからなのかもしれないな、なんて思うこともあるのです。
 前にも書きましたが、本当に自分の人生に満足している人は、「何かを書く」なんて行為をやらなくても、人生そのもので完結してしまうものではないか、という気もしますし。

 行き詰まりを感じたときに、今までの自分の視点から一歩引いて、自分にできなかったこと、やらなかったことに眼を向けてみるというのは、ものすごく有効な手段なのかもしれませんね。
 「心が汚くてどす黒いものしか見ない人間」にしか見えないような「美しさ」とか「希望」なんていうのも、たぶん、どこかにあるはずだから。