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2004年12月25日(土)
「常識」としての「相田みつをの世界」

毎日新聞の記事より。

【書き初めの宿題に書家、詩人として著名な相田みつをの詩を書いたところ、中学の男性国語教諭(53)に「やくざの書くような言葉だ」などとばかにされ、これが原因で卒業文集にもほおに傷のある似顔絵を描かれたとして、横浜市立中学の元女子生徒が市に慰謝料など350万円の支払いを求めた訴訟で、横浜地裁の河辺義典裁判長は24日、教諭らの責任を認め、市に計25万円の支払いを命じた。元生徒は別の男性教諭(46)から部活動中に腰をけられており、支払額はこの賠償5万円を含む。
 判決によると、元生徒は3年生だった01年1月、「花はたださく ただひたすらに」と書いた書き初めを、国語の授業に提出した。書家で詩人だった相田みつをの詩だが、国語教諭はこの詩を知らず、ほおに指を当てて(傷跡を)なぞる仕草をして「こういう人たちが書くような言葉だね」と発言した。同級生は笑い、元生徒は「やくざ」などとからかわれるようになった。
 その後、生徒たちが卒業文集で互いの10年後を想像した似顔絵を描き合った際、元生徒は、ほおに傷がある絵を描かれた。担任の女性教諭(38)は、絵を見ていながら修正せずに文集を配った。
 学校はその後、元生徒の母親の抗議で文集を回収し、印刷し直した文集を配り直した。
 判決は教諭の発言を「(発言で)嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。似顔絵についても「(担任が)訂正の必要性を認識すべきだった」とした。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、この先生はちょっと(というか、かなり)軽率ですよね。生徒が書いた書き初めに、そんな言葉を投げつけるなんて。その点については、責任があるということに異論はありません。
 でも、僕がこの記事を読んでいて感じたのは、「相田みつをさんのこの詩って、そんなの有名なの?」ということでした。この記事の見出しが、【<国語教諭>相田みつをの詩知らず、女子生徒けなす】だったものですから。
 そりゃ、僕だって、「にんげんだもの」くらいは暗記はしていなくても読めば思い出しますが、【「花はたださく ただひたすらに」】という言葉を、あの独特の字体ではない字で見せられて、「これは、相田みつをの詩だ、素晴らしい!」なんて思う国語教師というのは、そんなに多数派なのでしょうか?僕のイメージでは、夏目漱石とかへミングウェイ、カフカといった大家の代表作の読書経験があり、題名・あらすじくらいは知っていて然るべきだとは思いますが、相田みつをさんまで「当然の守備範囲」と言われてしまうのは、ちょっとかわいそうな気がします。少なくとも、その先生自身がファンでもなく、予備知識のない状態で読めば、【「花はたださく ただひたすらに」】というフレーズを「感動的」と思うか、「自意識過剰の人の落書き」と思うかは、まさに「個人の自由」なのではないでしょうか?だいたい、読んだことのない作品を、作者名も題名もわからない状態で絶対評価をするなんて、至難のわざでしょう。だから、有名な文学賞でも下読みをする人がいて、その上で選考委員が何人もいるわけですから(トンデモナイ選考委員というもの、いるみたいだし)。
 【「花はたださく ただひたすらに」】というフレーズに対する「やくざが書くような」という感想は、生徒たちの前で公然と言うのは無思慮極まりないですが、一個人の感想としては、「許容範囲」なのではないかなあ、という気もするのです。じゃあ逆に、国語の先生はみんな、相田さんが有名作家だから、相田さんの作品を批判してはならず、崇め奉らなければならないのでしょうか?
 いや、僕も正直、相田さんの作品世界の魅力って、あんまりよくわからないのです。ああいうのがツボにはまる人がいるというのには理解できるんだけどねえ。そんな当たり前のことを仰々しく言わなくても…とか、つい考えてしまいます。
 この記事の先生の生徒への対応は論外だったとしても、これからの時代は、先生は生徒が書いたものに対して、なんらかの評価をする前に、まずそれが有名作家のものではないかどうか検索しなくてはならないのかもしれませんね。
 「あっ!これは村上春樹の15年前の未発表作の一節をパクったのか!」とか調べておかないと、ヘタに感想を言ったらとんでもないことに…