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2004年12月13日(月)
「新選組!」が遺したもの

毎日新聞の記事より。

【12日に終了したNHK大河ドラマ「新選組!」の平均視聴率が17.4%(関東地区)だったことが13日、ビデオリサーチ社の調査で分かった。過去10年間で最低だった昨年の「武蔵MUSASHI」(16.7%)を0.7ポイント上回った。】

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歴代大河ドラマの視聴率はこちらです。


 初回は26.3%と好調だった、この「新選組!」なのですが、初期は視聴率低迷にあえいでいました。脚本の三谷幸喜さんも「三谷に大河の脚本はムリだ」なんてかなり叩かれていたみたいですけど、ネットで昨日の最終回を取り上げた人の多さとその賞賛ぶりからすると、「結果的には成功」と言っていいのではないでしょうか。少なくとも「今まで大河ドラマを観なかった世代の開拓」には成功したと言っていいでしょう。
 まあ、それでも全体の視聴率が「武蔵よりちょっとマシ」というレベルだったということは、逆に「今まで大河ドラマを観ていた人」で、この「新選組!」にはついてこなかった(あるいは、ついてこられなかった)人が、けっこういたということにもなりますよね。そういう意味では、この「新選組!」が、大河ドラマの流れに与えた影響は、視聴率以上に大きなものなのかもしれません。キャスティングにしても、今までの大河ドラマが「とにかくできるかぎり有名俳優で固める」というものだったのに対して、若手の舞台を中心に活躍してきた俳優を積極的に起用するというのは、おそらく三谷さんの意向だったのでしょうが、大きな転換点だったと思います。

 ところで、昨日の最終回で、「本当は、近藤勇たちがやったことの『評価』は、100年、200年経たないとわからない」というセリフを聞いて感じたのですが、新選組というのは、「何かをやらなければならない」という使命感にとらわれた若者たちが集まって、いつのまにか大きな組織になったのだけれど、最後は時代の波に流されて悲劇的な結末を迎えてしまった、という集団です。彼らが徳川家のために闘ったのは、そのイデオロギーに惹かれてというよりは、彼らの前には「幕府=正義」という価値観しか無かったからなのだという気がします。逆に、薩長側だって、「幕府を倒して外国に負けない近代国家をつくる」という新しい価値観に触れることによって、「倒幕=正義」という価値観を持つに至った、「何かをやらなければならない」という若者たちだったわけですから、結局「強迫的なまでの使命感」の前に現れた「価値観」が何だったのか?という違いにしか過ぎなかったのではないでしょうか。
 立場が逆だったら、近藤勇が倒幕の志士になっていたり、高杉晋作が新撰組の局長になっていても、全然おかしくない、そんなふうにも感じます。

 こういう比較をすると怒られるかもしれませんが、僕は、「新選組!」を観ながら、オウム真理教の信者たちのことを考えていました。彼らは「いかがわしい教義」に魅了されてしまった人々ではありますが、その一方で、もし彼らがオウムに入る前に、もっと反社会的ではない「価値観」に出会っていたら、全然別のことをやっていたかもしれないなあ、とも思うのです。
 そういうのを「運」の一言で済ませてしまうのはあんまりなのだけど、「絶対的な価値観」には、そういう「危うさ」もあるのだし、ある種の「運」と言わざるをえない面を持っていたのではないかなあ。

 ただ、そんなふうに考えていくと、自分がどこに向かっていけばいいのか、ものすごく不安になるだけではあるんですけど。
 一生懸命に目標に向かってやってきのに、35歳という若さで自分が信じるものが崩壊していくのを見ながら刑死した近藤勇と、たぶん彼より長生きして、安楽に暮らせるであろう自分とを比較してみると、この先、死に臨んでも「悔しい、と言えるほどのものが何もない」かもしれない自分が、ちょっと悲しくも感じられるのです。
 それにしても、滅びゆくものというのは、どうしてこんなに美しく見えるのだろうか…