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2004年10月28日(木) ■ |
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「ご冥福をお祈りしたいと思います」の錯覚 |
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「ああ、腹立つ」(阿川佐和子ほか・新潮文庫)より。
(有名人たちの「腹が立つこと」に関するショートエッセイ集の中から、タレント・松尾貴史さんの「コーヒーになりまーす」より。)
【最近私が納得できないのは、「なります」と「の方(ほう)」である。例えば喫茶店でコーヒーを持ってくるとき、「はーい、コーヒーになりまーす」あるいは「はーい、コーヒーの方、お持ちしました」と言う。「コーヒーになります」と言われた時、私は必ずと言っていいほど、「いつですか?」と聞くことにしている。 「コーヒーの方、お持ちしました」の場合は、「コーヒーしか注文していませんが」と断る。私もいやなやつだが、そうでもしないとストレスがたまって仕方ない。レジでは、「御会計の方、5百円になります」と言われる。「御会計の方」と言われても、すでにレジの前に立って伝票を手渡しているのだから、ほかに「何の方」があるというのだ。「ごちそう様のあいさつの方」をしろというのか。それに、「五百円です」「五百円いただきます」ではいけないのだろうか。
(中略)
「けれども」「したいと思います」なども、同質のものだ。「私、犯行現場に来ているんですけれども、異臭が漂っているんですけれども」などとよく使われるが、「けれども」の後に反対の意味の言葉は続かない。ただただ、「けれども」と四文字足すことによって、丁寧な言葉を使っているかのような錯覚に陥っている。「ご冥福をお祈りしたいと思います」と口走るキャスターもいる。祈りたいと思うだけで、実際には祈らないのだ。ある意味正直だが。】
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松尾さんも本当に意地悪だな、と思いつつ、僕も常日頃から感じていたことをこれだけ上手く言い表されると、ただ頷くばかりです。 「全然元気ですよ〜」という表現に違和感を覚える人も少なくなってきた昨今、こういうのはもう、「慣用句」なのかもしれませんが。
こういう言い回しで、僕が以前から気になっていたのは、横綱・貴乃花の「〜というかたち」の連呼です。 「これから、親方として後進を育てていくというかたちで…」とか「相撲は日本の伝統文化というかたちで…」とか、言っていることは立派な内容なのに、「かたち」という言葉ばかりがものすごく耳について、聞き心地が悪くて仕方ありません。学校の先生にも、語尾に「ね」ばかりつける先生がいて、授業中に内容そっちのけで「ね」を何回言ったか数えた経験のある人も多いのではないでしょうか。
日本語というのは、まわりくどい言い方をすればするほど丁寧だと誤解している人がけっこう多いのだけど、確かにそういう「言葉」を広める役割があるテレビの中でも、「ご冥福をお祈りしたいと思います」というのは、丁寧なようで、ものすごく失礼な言い回しです。 「〜したいと思います」というのは、政治家の「前向きに善処したいと思います」や小学校の学級会での「いじめをなくしたいと思います」と同じで、実際にはうまくいかなくても「まあ、思ってはいたんですけどねえ」という、「逃げ道を含んだ」言い方なんですよね。 たぶん、このレポーターたちの多くは、「ご冥福をお祈りしたいと思います」という言葉を何の疑問も持たずに使っているのでしょうが、考えてみれば、「ご冥福をお祈りします」ですよね。ひょっとしたら、レポーターやキャスターは、あくまでも黒子だから、なるべく自分の感情を出さないように、なんて意識があるのだろうか? こういうのは、穿った見方なのかもしれません。でも、これを「丁寧語」だと思って使っているのだとしたら、やっぱり恥ずかしいことだし、相手には失礼なことです。「思う」だけじゃなくて、ちゃんと祈れよ。 それとも「ご冥福を祈ろうと思う自分」を「いい人」だとアピールしたいだけなの?
…僕も今、「失礼なことだと思います」と一度書いて消して、「失礼なことです」に書き換えたところなんですが。
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