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2004年09月26日(日)
犬を飼うときの、たった一つの約束

「泣く大人」(江國香織著・角川文庫)より。

【思いだすことがある。
 十二歳のときのことだ。うちで子犬を飼うことになった。犬が欲しいかと訊かれて欲しいとこたえると、父が私に、じゃあ一つだけ約束してくれと言った。一般的に、親は子供に、そういうとき、毎日散歩に連れていくように、とか、食事やトイレの世話をおこたらないように、とか、生き物を飼う上での責任を学ばせようとするものであるらしいことは、小説やテレビドラマで読んで(見て)知っていたのだが、あのとき父は別なことを言った。
一人ぼっちの淋しい女みたいに犬を溺愛するんじゃない。犬はいずれ死ぬ。そのとき、孤独なヒステリー女みたいに泣いたり騒いだりしないでくれ。父はそう言った。
 九年後にその犬が死んだとき、私は約束を覚えていたので父の前では泣かなかった。
 でも、と、いまになって私は気づかざるを得ない。十二歳のあのときもいまも、私は一人ぼっちではないが淋しい女ではあるし、孤独なヒステリー女でもあるのだ。そのことを、父がほんとうに知らずにいてくれたのだったらいいなと思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「どうして江國さんのお父さんは、まだ十二歳の自分の娘にこんな『約束』をさせたのだろう?」
 この文章を読んで、僕はしばらくのあいだ、その理由を考えていました。
 どちらかというと、お父さんの立場で。

 「死ぬとかわいそうだから、生き物を飼わない」という話を耳にすることが、よくあります。僕も実家に犬がいたし、その犬が亡くなったときには、「飼わなければ、こんな悲しい思いをしなくてもよかったのに」とも思いました。
 とはいえ、一度動物を飼う喜びを知ってしまうと、「死んでしまうと辛い」という「未来への不安」よりも、「現在の幸福感」をとってしまうんですよね。

 「家で生き物を飼う」ときに、親が子供に望むことは何でしょうか?
 「責任」を身につけることなのかもしれないし、「愛情」を感じることなのかもしれません。あるいは、自分が家にいられないことの「罪滅ぼし」なのかもしれない。
 でも、人間よりおそらく早く「死」を迎えるであろう動物を家族の一員にする理由のひとつとして、それを積極的に望む人はいなくても、「愛するものとの別れの予行演習」という要素もあるのでしょう。

 ただ、そこで「娘が泣かないことを自分は望むのだろうか?」と僕は考え込んでしまいます。「そういう強い人になってもらいたい」という気持ちがあるのと同時に、「そういうときに泣けるような優しい人になってもらいたい」とも思うのではないかなあ、と。
 それは、両立しない二つの「理想像」で。
 
 もしかしたら、お父さんは、まだ十二歳の自分の娘が「優しすぎて、淋しがりや」であることに不安を抱いていたのかもしれません。だから、あえてそんな「試練」を娘に与えてみたのだろうか、なんて想像してもみるのです。

 まあ、実際は当の本人は九年前娘に言ったことなんて忘れて、「あんなに可愛がっていたのに、香織は泣かないなあ」とか考えていたり、自分のほうが泣き崩れていたりするものかもしれないのですが。