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2004年08月26日(木)
主義主張としての『恋愛感情』

サンケイスポーツの記事より。

【女優、寺島しのぶ(31)が、中国映画「ションヤンの酒家」(フォ・ジェンチイ監督)のDVD日本語吹き替え版で主人公のションヤンの声を務めることになり25日、都内のスタジオで公開収録を行った。

 アフレコ初体験の寺島は、とくにラブシーンに苦労したようで、「“チュー”の音とか、『ア〜ン』のあえぎ声は1人だとすごく過酷だった」と苦笑い。自身の恋愛については「私のモットーでいつも恋愛はしていないと…」と、照れ笑いを浮かべていた。】

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 すっかり演技派女優としての地位を築いた感じの寺島さん。
 この記事だけ読んでいたら、「ションヤンの酒家」って、ポルノ映画なのか?とか僕はつい思ってしまったのですが、コチラにあるように、「エロスの要素もある」というくらいの作品みたいです。
 こんなふうに、そういう要素ばかり特筆されると、なんだか勘違いしてしまいますよね。
 ところで、このコメントの中にある、【私のモットーでいつも恋愛はしていないと…」】、某ゴージャス姉妹などもそうなのですが、僕はどうもこういうのって違和感を感じてしまうのです。あと「灰になるまでオンナ」とか。
 「恋愛」って、モットーでするものなのだろうか?とか「女」って、ポリシーとして続けるものなのだろうか?って。
 もちろん僕も恋愛自体の効用を否定するつもりはありませんが(やっぱり、日々の活力が出たり、新鮮な刺激を受けたりすることも多いのでしょうから)、「いつも恋愛している」というのは、ものすごくエネルギーもいるだろうし、相手の都合ってものもあるから、難しいのではないかなあ、という気もします。
 誰かと別れたら、「他に好きな人ができるのを待つ」のではなく「恋愛をするために新しい人を探す」というのは、なんだか不自然なような…
 「いつも恋愛をする」ために、別れた後に空白期間ができないよう、常に「恋人ストック」みたいなのがあって優先順位がつけられていたりしたらイヤだなあ、と思うし、自分が誰かの「好きな人」ではなくて「恋愛をするための相手」だったら、ちょっと感じ悪いなあ。そういう「感情」って、買いだめしておいたり、自分でコントロールしたりできないから面白いのでは。

 中島らもさんが引用していた外国の思想家の言葉に「女性にとって、男は愛を引っかける釘である」というのがありました。
 もちろん、男にもこういうタイプの「恋愛ジャンキー」みたいな人はいるのでしょうし、寺島さん相手だったら、釘になってもいい!っていう男はたくさんいるんでしょうけどねえ…

 「いつも恋愛をしている人生」って、「ブレーキの壊れたダンプカー」みたいで、僕はちょっと怖いです。