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2004年08月10日(火) ■ |
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「安全なサイト」と「危険なサイト」との境界線 |
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毎日新聞の記事より。
【小学館発行の児童向け月刊誌「小学六年生」の最新号(9月号)の特集記事に、出会い系サイトなどにつながるサイトが掲載されていることが分かった。同社は謝罪広告を載せるとかえって子供がつないでしまう可能性があるとして、次号に電子メールに絡んで最近発生した事件などインターネットの危険性を知らせる特集記事を掲載する。 問題の記事は巻頭の特集記事「メール&レター達人道」で、電子メールや手紙を書く際に役立つ情報をまとめたもの。その中で絵文字や着信メロディーを紹介した六つのサイトのうち三つの画面上にある広告を選ぶと、18歳以上かどうかを問う画面などを経て、メル友を募集する出会い系サイトやエステを紹介するサイトに行き着くという。 特集記事の中では問題のある広告部分を塗りつぶした画面の写真を掲載したが、3日の発売直後に9月号を購入した保護者が実際にホームページを開いて気づき、同社に連絡してきた。同誌は発行部数6万4000部という。 同誌の赤星一朗編集長は「広告があることは分かっていたが実際にどんなサイトにつながるかまでは調べなかった。認識が甘く反省している」と謝罪している。】
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「小学六年生」って、発行部数6万4000部なんですね。これは「けっこう売れている」と考えるべきなのでしょうか? まあ、その学年限定の雑誌としては、僕の時代からある「老舗」ですが、正直なところ、僕は自分が小6のときは、この説教臭い雑誌は「卒業」してしまっていたような記憶があります。「こんな子供っぽい雑誌、読んでられねーよ」って。 今から考えたら、当時の僕は見まごうことなき「子供」だったわけですが、逆に子供というのは「大人のイメージする子供像」みたいなものに、ものすごく抵抗感があるものだと思います。 「学習雑誌」なんて言われていた「小学○年生」より、「PTAの敵」であり、「子供には見せられない残酷なマンガ」であった「週刊少年ジャンプ」を当時の僕たちは、少し背伸びをして読んでいたものです。
それにしても、この記事から伺える「インターネットへの危機感」みたいなものには、ある種偏執的なイメージすらあるのです。 こうして自分のサイトを持って、ネットに接している僕からすれば、この世に存在するサイトのなかで、「アダルトサイトとの接点を全く持たないサイト」というのは、意外と少ない気がするから。
無料スペースでの個人サイトには、そういうアダルト系のポップアップ広告が出るところはたくさんありますし、テキストの中にも「性的描写」を含むものは本当に星の数ほどあるのです。そもそも”Yahoo”とか”ビッグローブ”などのポータルサイトの中にも、トップページからお薦めのアダルトコンテンツに直結しているところはたくさんありますし、「雑誌で小学生に直接アダルトサイトを紹介」するのはあんまりだとしても、「そのサイトのリンク先にアダルト・出会い系サイト」というレベルでここまで「不祥事」になってしまうのは、あまりに「インターネットの現状」に対して無知かつ狭量すぎるのではないかなあ、という気もするのです。
たぶんこれで、「雑誌上でサイトを紹介する」という記事は、ごく一部の「安全なサイト」を除いては、載せられなくなるのではないでしょうか? それ以前に、「100%安全なサイト」というのが存在するのかどうかは、非常に疑わしいところです。 どんな「真面目なサイト」でも、リンクを辿っていけば、どこかでアダルトサイトに繋がっていることもあるでしょうし、逆に「どこにも繋がっていない、孤立したサイト」では、ネット上での存在意義が乏しいのではないかと感じてしまうのです。 そして、そうやって、「危険なサイトへの接点」を奪おうとしても、ネットの世界では、いくらでも「危険なサイトへの扉」は開かれているのです。「隠す」よりも「正しい知識を持たせる」ことのほうが、長い目でみればはるかに有益なはずなのに。 そういう意味では、「インターネットの危険を知らせる」というのは、正しい判断だと思います。内容が面白くないと、すぐ飽きそうだけど。
実際には、子供たちはネット上の掲示板などで、その「噂のサイト」の情報をやりとりして、「なーんだ、全然たいしたことないなあ」なんて言い合っているんじゃないかな、と僕は予測しているんですけどね。
一般的に、子供は大人が思うほど子供じゃない。 裏を返せば、大人だって子供が思うほど大人じゃないわけですが。
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