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2004年06月26日(土)
小川直也が嫌いな「リアル・ファイト」

「Number・605」(文藝春秋)の記事「小川直也・拭えない総合格闘技への違和感」より。小川さんと話している相手は、小川さんを鍛えた明治大学の監督・原吉実さんです。小川さんが中央競馬会のサラリーマンから格闘家に転身したときのエピソード。

【プロレスには客が入らない。地方の巡業へ行けばそれがよくわかる。
「小川、昔みたいな盛り上がりはもう期待できねえぞ」
「そうですね」
 小川もそれは百も承知しているのだ。
「でもお客さんには夢を見てもらいたいし、プロレスならそれができるんです」
「そんなこと言ったってお前、プロレスはショーだぞ。それで夢を見られんのか」
「ショーだからこそ見られるんです。思う通りに、お客がこうなって欲しいと願う通りのことがやれるんですから」
 そんな会話が続くと、小川はよくアメリカで人気の高いショープロレス、WWEの話をした。そして、
「きっと日本もアメリカと同じ状況になります。総合格闘技に流れた客がきっとプロレスに戻ってきます」
 と熱っぽく語るのだ。】


【小川はUFC(アメリカの総合格闘技団体)に出場している選手の何人かから「本当はリアル・ファイトはやりたくないんだ……」という言葉を聞いた。高額の賞金を得てもそれは一時のことにすぎない。選手にだって家族と生活がある。本音は誰もが息長くリングに上がり続けることを望んでいる。
「みんな、プロレスをやりたいのだ」
 それが小川の感じ取った彼らの本音だった。】

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 『堕ちた野獣』ボブ・サップ」に対し「有名になってお金持ちにもなったし、ハングリー精神が無くなって弱くなったんだな」と評価することは簡単なのですが、この文章を読んでみると、そりゃ、あれだけ「失いたくないもの」を手に入れてしまえば、ハングリー精神をキープするなんてムリなのが普通だろうな、とも思えてきます。
 無名で貧乏で、このチャンスに賭けないと明日はどうなるかわからない、という人間なら命を賭けられる場面でも、何かを得てしまった人間にとっては、「そこまでムリしなくても…」という気持ちになるのは、「当たり前」のことですよね。
 もちろん、そういう「守るべきものを持った人間」にも、それなりの強さというのはあるのですが、むしろその強さというのは「自分が致命的な怪我をする前にギブアップする勇気」だったりするものですし。

 僕は「プライド」のリングの上で「ハッスルポーズ」とかのパフォーマンスをやっている小川選手に対して、「真剣勝負なのかこれは?」と疑問を抱いてしまうのですが(もちろん「八百長」とか言っているのではなくて、今までは小川選手が勝ちやすい相手との試合が組まれていたのではないか?という疑念です)、小川選手に、ここまで「プロレス」に対するこだわりがあるとは知りませんでした。
 「ショーだからこそ夢を見られる」というのは、オリンピックという舞台で「日本の夢を打ち砕いた男」として誹謗中傷を浴びせられた小川選手ならではの気持ちなのかもしれませんけど。

 たしかに「リアル・ファイトの何が楽しいんだ!」というのは、選手側の「本音」なのかもしれません。実際、あんな危険な闘いを「対戦相手である」という以外に何の恨みつらみもない相手とやるのは、「いくら大金を積まれてもやっちゃいられない」と感じる選手がいるのはおかしくないと思うのです。自分が傷つくのはイヤだろうし、他人を傷つけるのだって辛いはず。
 それでも「パンと見世物」を求める市民のために血を流したローマ帝国の剣闘士たちのような「リアル・ファイト」を求める人々の声は小さくはなっていないようです。

 今日のボブ・サップの試合を観た印象は、「あそこまでして闘う必要は、もうサップには無いのではないかな」ということでした。もちろん強くないとサップにとっての「売り」が無くなるわけですが、一度失われたモチベーションって、そう簡単に戻ってはこないのでしょう。

 「リアル・ファイト」に疲れた人たちが、本当にプロレスに戻ってくるかどうかはわかりません。日本人には、マジックショーに対してすら「うまく騙されるのを楽しむ」というよりは「騙されないぞ、どんな仕掛けなんだ?」という目でみてしまう人が多いらしいので、いわゆる「ショー感覚のヤラセ全開のプロレス」は、主流にはなりえないのではないかな、という気もします。
 「事実は小説より奇なり」
 「ショーだからこそ夢を見られる」
 結局、最後は二極分化していくものなのかもしれませんが…