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2004年06月23日(水) ■ |
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「怪人二十面相」と「バトル・ロワイヤル」 |
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「面白い小説を見つけるために」(小林信彦著・光文社)より。
【江戸川乱歩の「怪人二十面相」と「少年探偵団」も、前記の古本屋で借りて読んだものだ。「少年探偵団」の発端部に、上野公園を歩いている大学生の影が白い歯を見せてケラケラと笑う有名な場面がある。今度、改めて読み直してみたが、いま読んでも非常にこわいのである。
(中略)
東京空襲が噂されたそのころ、ぼくらの日常は、奇々怪々な流言飛語に充たされていた。たとえば、子供をさらう<赤マント>、町内の××はアメリカのスパイらしいという囁き、あの爆弾(のちの原爆)が日本で完成したらしいという希望的風聞。そうした暗い時代に読む<黒い魔物>の物語は、かくべつの味わいがあった。 作者みずから<画期的な歓迎を受けた>と回想するこの少年物シリーズが、昭和十一年から十五年にかけて執筆されたことは、記しておく必要があるだろう。しだいに戦時色が濃厚になる時期(二・二六事件から日独伊三国同盟成立まで)に書きつがれた物語は、<怪人>を出すことが許されなくなる「大金塊」で、いちおうの終止符が打たれる。刻一刻と濃くなる世相不安と乱歩独特のネクラ気質が、まれにみる恐怖の感情を、無数の子供たちにあたえたと見るべきだろう。】
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江戸川乱歩の作品たちは、発表から50年くらいたってから読んだ僕も「言葉にできないような恐怖感」を覚えました。とはいっても、僕の場合は「少年探偵団シリーズ」を半分くらい読んだだけなので、あまり本格的な乱歩の読者とはいえないわけですが。 でも、この小林さんの回想を読んでいると、戦争に突入するという時代背景のなかで、乱歩の作品たちが当時の子供たちに与えたインパクトというのは、きっと「過去の作品」として読む僕たちには想像もつかないものなのだと思います。もちろん、子供たちにとっては他の娯楽が非常に少ない時代でもあったでしょうし。 僕たちが「禍々しい、想像もつかない」と感じてしまうような<赤マント>とか<他国のスパイ>というのは、当時の子供たちにとっては「荒唐無稽」なものではなくて、リアルな存在だったみたいですから、「怪人」だって、けっして「ありえない存在」ではなかったはずです。 僕がこの文章を読んで思い出したのは、今話題の(?)「バトル・ロワイヤル」のことです。僕は正直なところ、「趣味の悪い話だなあ」というくらいの感想しか抱かなかったのですが、最近「バトル・ロワイヤル」に感化されたという子供たちが、いくつもの信じられないような事件を起こしています。 そのために「魔女狩り」のように「バトル・ロワイヤル」が非難されたり、DVD発売が延期されたりしているわけですが、おそらく、その「責任」は、「バトル・ロワイヤル」だけが負うべきものではないのだと思います。この作品をここまで「負の神格化」に導いたのは、おそらく現代という「時代背景」なのでしょう。今の子供たちには「リアリティのある世界観」なのかもしれません。 それが、文学としての完成度以上に、子供たちへの作品の影響力を増幅しているんでしょうね。 大人になってしまった僕は、「あんな荒唐無稽で残酷なだけの話…」とか、つい考えてしまうのですけど。
「暗い物語が時代を暗くする」わけではなくて、「暗い時代には、暗い物語がよく似合う」たぶん、そういうことなんだろうなあ。 いまを生きる人間としては、後世の人々に「あの時代は『バトル・ロワイヤル』の背景に相応しかった」なんて言われるのは、ものすごく心外で不愉快なのですが。
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