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2004年04月02日(金)
「本当に危険な仕事」と「本当は危険な仕事」

日刊スポーツの記事より。

【中央競馬の竹本貴志騎手(20=古賀史)が脳挫傷のため2日午前1時12分、入院先の船橋市内の病院で死亡した。

 竹本騎手は今年3月にデビューしたばかりで、3月28日の中山競馬5Rの障害戦でミツアキオペラオーに騎乗し、1周目の障害を飛び越す際に落馬。その際に頭部を強く打ち、意識不明のまま千葉県船橋市の船橋市立医療センターに搬送された。その後も意識が戻らず、事故から6日目のこの日、息をひきとった。

 中央競馬の騎手が競走中の事故で死亡するのは93年の故岡潤一郎騎手(当時24)以来11年ぶりで、54年のJRA設立以来19人目となる。

 竹本騎手は広島県出身。騎手デビュー翌日の3月7日には、競馬学校出身の新人で初勝利一番乗りを果たした。事故に遭ったレースは15戦目、障害レースは2戦目だった。】

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 竹本騎手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 ハルウララのレースに騎乗する際に武豊騎手がコメントされていたのですが、騎手というのは一見華やかなようで、非常に危険を伴う職業なのです。
 今年の中央競馬の新人騎手は12名(うち2名は、地方競馬からの移籍)なのですが、競馬学校ができてからは、毎年騎手になる人の数は、だいたい10人前後、というところです。
 JRA(日本中央競馬会)ができてから50年で19人目の事故死、というのは、さて、多いのか少ないのか…
 ’93年に命を落とされた岡潤一郎騎手も、将来を嘱望された騎手でした。彼は、あのオグリキャップの手綱を任されたこともある、有能な若手騎手だったのです。
 最近は騎手の安全対策もすすんできて、以前に比べたら悲劇的な事故が起こる可能性は減りましたが、それでも「レースは生き物」ですから、どんなトラブルが起こってもおかしくはありません。命を落とさないまでも、後遺症が残るような大きな怪我をすることだって、けっして珍しいことではないのです。
 100人のうち1人は事故で命を落とす職業(しかもまだ若くて健康なのに)というのは、やはり、「危険な職業」であるのはまちがいないでしょう。

 「安全対策を」と言っても、まさか馬にエアバックを装備するわけにいかないだろうから。

 僕たちは、「騎手」とか「警察官」「消防士」などは「危険な職業」だと認識しています。
 でも、実は「危険な職業」というのは、けっしてこれだけではないのです。
 僕が医者になって感じたのは、「これは、かなり危険な仕事だなあ」ということでしたから。さまざまな病気が集まってくる病院で働き、患者さんと接するのですから、針刺し事故や飛沫感染などの危険も普通の職場よりは大きいですし、ミスをした場合に受ける社会的制裁も、例えは悪いかもしれませんが「コンビニの店員が、お釣りを間違えること」に比べれば、はるかに大きいものでしょう。病気の人であれば、その人が暴力団員であっても、原則的には受け入れないといけません。
 「医者は高収入」だと言われますが実際はたいしたことはないですし、僕はそれって「危険手当」のようなものだと思うのです。
 
 あと「風俗で働く」というのも、非常に危険な仕事なのではないでしょうか。
 面識のない男に対して、無防備な体勢で相対しないといけないし、いろんな病気をうつされる危険もあります。事件に巻き込まれる可能性が高いような印象もありますし(ただしこれは、職業との因果関係はわかりませんが)。
 そういう仕事で「売っている」ものは「身体」と「プライド」だけではなくて、「自分の身の安全」もなのです。

 僕は竹本騎手が「騎手にならないほうがよかった」のかどうかは、正直なんとも言えません。彼はおそらくリスクを承知で、夢を追ってこの仕事を選んだのでしょうから。そして、スーパースターである武豊騎手から、薄給でも馬を全力で追っている地方競馬の騎手まで、みんな、そのリスクを抱えて働いているのです。
 アイルトン・セナが事故死したからといって、「彼はF1マシンになんか乗らなければよかった」と言い切れる人は少ないはず。

 世間には、自覚もなしに「危険な職業」をやっている人がけっこう多かったり、「安全でクリーン」だと思われている仕事にたくさんの危険が潜んでいるものだよなあ、などと僕は最近つくづく思うのです。政治家だって、ある意味「危険な職業」なのだし。
 「危険を承知で危険な仕事をする人」もいれば、「危険に気付かずに危険な仕事をする人」もいる。みんな一度は、「自分が仕事で得られるものというのは、その危険に見合ったものか?」ということを考えてみるべきなのかもしれません。
 
 同じ「危険な仕事」なら、自分の夢のために散った竹本騎手の20年間の人生は、そんなに悪いものではなかったのではないか?僕には、そんな気がします。