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2004年03月12日(金)
貴男はまことに男の中の男であります。

「眠る盃」(向田邦子著・講談社文庫)より。

【マハシャイ・マミオ殿

 偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ……。

 きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。
 私はそこに惚れているのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 マミオさんは、向田さんが文字通り「猫かわいがり」していた愛猫です。
 僕が向田邦子さんのこの文章を最初に目にしたのは高校生のときだったのですが、そのときは、正直言って、この文章の意味が、よくわかりませんでした。他のエッセイは当時の僕にも明快で、「昭和の香り」を感じながら読んでいたのに、この一節だけはどうも納得いかなくて。
 なんとなく、ここで述べられているマミオさんへの賛辞というのは、向田さんの(人間においても)「理想の男性像」なのだろうなあ、というふうには感じたのですけど。
 でも、ここに掲げられているマミオさんの性格・行動というのは、当時の僕からみても、「褒められたものもじゃない」というか、「えっ、こんなのどこがいいの?」というようなものばかりです。うーん、美点となりうるのは、せいぜい「凝り性」と「女房自慢」くらいなのではないか…と。
 そういう「違和感」みたいなものが、僕にとって、この文章を忘れられないものにしていたのかもしれません。

 しかし、あれから15年くらい経って、あらためてこの向田さんのマミオさんへの賛辞を読み返してみると、30歳を過ぎた僕には、向田さんが、マミオさんを「男の中の男」と書いた気持ちがわかるような気がしてきたのです。
 人間というのは、美点に惹かれるだけではないのだな、という不思議な実感。
 「どうしようもない男」なのに、どうしてあんな奴がモテるんだ?と腹が立つような人って、身のまわりにいませんか?女好きで、自信過剰で、気まぐれで…
 でも、人間というのは、そういう「どうしようもなさ」みたいなものや「自分に素直な生き方」のようなものに、強く惹かれてしまう傾向があるみたいなんですよね。
 僕などは、「自分はこんなに頑張っているつもりなのに、どうしてダメなんだろう…」なんてずっと考えていたりしたのですが、こと男女の間に関しては、必ずしも「頑張ればいい」「優しければいい」「謙虚ならいい」というものではないのかもしれません。まあ、だからといって、マミオさんの真似をすればいいのか?と言われると、形だけ真似しても、嫌われるだけのような気もします。
 風呂に入らなかったら惚れてもらえるのなら、なんて簡単なんだろう!

 やっぱり、この年になっても、向田さんの言葉の意味は掴みきれてないみたい。
 僕も、まだまだ「男の中の男」には、程遠いですね…